小さい頃になりたかったもの

 

 

私は幼い頃、ずっとお花屋さんになりたかったのです。

なぜお花屋さんだったかなんて理由は忘れてしまっていますが、お花を見るのが好きだったようです。

その頃の悩み事は「蜂がきたらどうしよう」とか「虫がたくさんいるなぁ」とかそんなことばかり考えていたように思います。

 

そのくせ兄の影響で虫かごを持って町を探検していたのですが・・・

 

大きくなってふと気がつくと自宅にはいつもお花がありました。

 

どうやら母がお花が好きなようで、いつもお花を飾っていました。
(さらに大きくなって知ったことは、母が華道のある流派の師範だということ)

 

その影響で私はお花が好きになったのですが、最近ちゃんと学ぶことを始めました。

 

 

華道は芸術でありセンスが問われるものではありますが、究極にロジカルな伝統美なのです。

 

なぜならば、主のお花に対して、副のお花の位置や角度が全て決められており、長さも指定されています。
舞台で言うプリンシパルのお花は全てロジカルな型が決まっています。

 

そのプリンシパルの彩りを更に活かすため、他の花材を活けていくのです。

 

 

 

しかし、型があってロジカルで全て決められているのにどうにも決まらないことが多々。
経験とセンスがもの言う部分になるのです。
型通り花材を活けてもかっこよくない。かっこよくないことは感覚的にわかるのに、何が原因かがわからない。

そんなときに師匠の手にかかると魔法のように一瞬で花に光が宿ります。

 

私が師事してる小原流は洋花を使うことも多く、華やかで凛とした美しさがあります。

 

初めて一年ちょっとは経っているのですが、まだまだひよっこで全てが手探り。

 

お花を活けてるときは時間を忘れ、日常を忘れられる異次元の時間が流れる。
不思議とお花に心が投影されてしまうので他のことを考えていると全くお花がきまりません。

 

お稽古後の喜びは、活けた花材を自宅でも活け直せるということ。
そしてお花の扱い方もわかるようになり毎日お花に囲まれた生活ができています。
お花屋さんになりたいという夢は未だに叶っていませんが日々お花と共に暮らす生活は叶いました。

 

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