足りないのは自然くらいだ

外出禁止要請がだされて二週間以上たつ。

キャンプ関連の仕事は一旦すべて白紙になり、イベントなども次々と中止になっていく。

ただ一方イラストの仕事は相変わらず家にひきこもってできるので、

あまり普段とも変わらないとも言える日々を過ごしています。

世界的危機の中にある、ささいな日常

ただ、この一生に一度あるかないかの世界的危機の状況を、

今自分の言葉で、手で残す必要があると感じて気分転換に外に出ては、

ささいな日常を写真におさめている。

 

 

レンズ越しに世界を見ると、いつもの道が少しだけドラマ身を帯びるので、

晴れの日、曇りの日、夕方、早朝、少しだけ色味が代わり、人も代わり、空気も変わる。

それを一枚一枚おさめていく作業が気分転換になる。

 

なるべくカメラはスマホよりもしっかりとしたレンズを使いたい。

レンズを覗き込むという行為が、

日常に一枚のフィルターをかけられるのだと勝手に思っている。

 

朝、少しヨガなどの運動をして、少し勉強をして、ゆっくり仕事をはじめる。途中に散歩に行ってかいものをする。まるで穏やかな日常だ。

 

以前より丁寧にごはんなんかも作るようになった。

きっと今までが忙しすぎたのだと思う。

もう以前のようには戻れないなと思いつつ。

ただ時折晴れた日にどうしようもなく緑や土が恋しくなる。

大きな空を眺めてぼんやりしたくなる。

大きな公園にはいつも以上に人がいた。行き場のない何かを少しでも和らげようという人が多いのだろう。

 

この大きな大きな問題を乗り切ったとき、わたしたちの生活や価値観はどう大きくなるのだろう。

足りないのは大きな自然だけ

個人的には、

何もできないからこそ(とは言っても本を読んだり絵を書いたり勉強したりとタスクも増やしてしまって、少し忙しくもしているけど)、

自分に向き合う時間が増えて、

わたしは以前よりもずっと健康的に暮らしている。足りないのは大きな自然だけ。

ふっともう都会に住み続ける意味はあまりないのかもしれないなぁなんて思っている。

そしてそれは決してわたしだけじゃなく、

そういう人がもっと増えるんじゃないだろうかとも思う。

□ ANOTHER STORY

SHINGO KURONO

鉛筆彫刻人シロイ

hakko-bunka

Yutaka Yanabu