コロナ禍をきっかけに、山奥で小屋暮らし

これまで2回にわたり、コロナ・ウィルスから受けた影響を、音楽家としての自分、楽器店経営者としての自分とお伝えしてきました。このシリーズの最後に、僕自身に起きた変化についてお話します。

音楽家としては休業

僕は本業はフルート奏者/講師なのですが、3月以降は演奏はすべてキャンセル、レッスンもほとんど休業状態です。僕はこの春に新しいCDを発売したばかりで、疫病がなければ今頃は日本各地でコンサート・ツアーをしているはずだったのですが、コンサートは延期につぐ延期で、結局は全てが中止となってしまいました。

兵庫県では先日5月21日に緊急事態が解除されましたが、兵庫県のホームページでは「3つの密の懸念のある集会・イベントへの参加を避けてください」とあり、コンサートができる状態にはほど遠いようです。少し緊張がゆるんだからといって、お客様に感染リスクを負わせるわけにもいきませんから、政府による終息宣言が出るまでは休止することとしました。

レッスンについては、マンツーマン、グループで教えていましたが、現在は遠方のレッスンは休会し、オンラインまたは自宅でのマンツーマン・レッスンのみとしています。

つまり音楽家としての仕事はほぼ無くなってしまいました。もちろんコンサートやレッスンをしたい気持ちはありますが、コロナ災害が終わるまではジタバタしても仕方ないと諦めています。

休業での収入面の影響については、自分自身では音楽家が本業と思ってはいますが、数年前から主たる収入源が楽器店経営になっており、幸い多少の蓄えもあるので、焦って動かないように心がけています。

山奥の家に拠点を移す

僕は兵庫県の都市部に生活していますが、田舎暮らしにあこがれて、3年前に和歌山県の山奥の限界集落に土地と家を購入しました。そこは1500坪の田畑山林と古民家と小屋があり、常用車が通れない細い道を進んだつきあたりの、用事がなければ誰も来ないような秘境です。ライフラインは電気がありますが、水道・ガス・ネットは無く、なんなら携帯電話の信号も入りません。

田舎の物件を探していたころに縁があってこの場所にめぐりあい、どうせなら中途半端な田舎ではなく本当の山奥にしようと思い、面白がって購入しました。今やスマホやネットから隔絶した場所というのは貴重なのではないでしょうか?

購入してから今ままでは、自宅から4時間くらいかかるこの山奥に一年に2回くらい行って少しずつ片付けや掃除をして暮らせるようにしてきました。

その折にこのコロナ災害です。今の状況下では都市で生活するのは感染リスクがあり、また都市での仕事が無くなってしまったので、この機会をポジティブにとらえて、この山奥の家に生活の拠点を移すことにしました。秘境暮らしをしながら、仕事への影響を最小限にできないか? という挑戦です。


敷地を流れる清流

まず用意したのはレンタカー。僕は車を持っていないので、月極めのレンタカー店を探して、1ヶ月3万円くらいで小さな軽乗用車を借りました。次にモバイル・Wi-Fiを借りました。事前に受信エリアを調べて、自宅から10分程度の温泉では電波が入ることがわかりました。利用料は月額4,000円くらいです。それらを準備して、ペットのうさぎを連れて兵庫県の自宅を後にしました。

移住してからの生活は、日の出ているうちは庭仕事や家事をして汗をかき、夕方に温泉に入って、公営駐車場に車を停めてパソコン作業や連絡をするというシンプルな毎日。「自分ではどうしようもないことは心配しない」との思いでニュースやSNSからも距離を取り、またほとんど人と会わないため、ストレスがまったくない、平和な生活を送っています。

梅の実が熟してきました

自宅でネットが使えないのは不便ですが、ネットとスマホ中毒気味の自分にはそれくらいがちょうど良く、集中を乱されないため仕事の効率が上がったと感じています。

この山奥の家が気に入ってはいますが、兵庫県の自宅でないとできないこともあり、10日に1回程度一時帰宅して、仕事をしたり必要なものを持ち帰ったりしています。完全に田舎暮らしに切り替えるのではなく、2拠点を行き来する生活が、都市と田舎のいいところ取りで、ちょうどよいのです。

この田舎暮らしは一時的なものです。この山奥の家と土地を借りてハーブ園や民泊などの事業をしたいという方と出会ったため、コロナが収束するまでは2拠点生活を続け、安心してコンサートやレッスンができるようになったら明け渡したいと考えています。

生き方を変えて、気づきを得る

満月の夜

これまで「いつかは田舎暮らしをしたい」と思って物件を取得までしたものの、忙しく都市で仕事をいたため、そのきっかけをつかめないまま数年経ってしまいました。

このままでは老後まで移住は無理なのか、まだ家を買うのは早すぎたのか…と思っていたころに、コロナ・ウィルスの発生。田舎に移住するきっかけを作ってくれて、自分にとってはポジティブな変化だったと思っています。

田舎に移ってからは、暮らしの環境を整えて慣れるまで3週間、楽器の練習からも趣味の語学からも遠ざかっていました。まったくやる気が起きなかったのです。

今考えればコンサート・ツアーが中止になって、楽しみにしていた海外での講師の仕事も無くなり、相当ショックだったのでしょう。楽器練習や語学学習をしても、今は何にも役に立たないじゃないか……と思っていたのです。

しかし、毎日植物の世話をしたり肉体労働に汗を流したりしているうちに、傷ついた心が癒やされて、自分の中心軸に戻ったようです。

もともとは楽器も語学も、誰かのためや仕事のためではなく、自分が好きでやっていたこと。何かの役に立つかどうかではなく、単純に「それをすることが喜び」だったことを思い出しました。

それからは、毎日少しずつ日課を作り、必ず取り組むようにしています。好きなことには理由がありません。

コロナ禍によって、誰しもが多少の影響をこうむり、望むと望まざるとに関わらず仕事や生き方を変えなくてはいけない人もいるこの時代。病気にかかることは恐ろしいことではありますが、コロナが残したものはマイナスだけではなく、私達の人生や社会を推進させる力にもなりうるのではないかと気づきを得た、この3週間の移住体験でした。

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