楽しく学んで、自己成長しよう

ケルトの笛のhataoです。この連載では、日本でたったひとつのケルト音楽専門楽器店を経営するフルート奏者の私が、スモールビジネスでの経験や考えをシェアしています。

毎日、学んでいますか?

皆さんは、日々何かを学んでいますか? この1年間で何ができるようになりましたか?

こう言われると、ギクっとするかもしれませんね。私は過去の自分よりも賢く、健康で、豊かで、自由でありたい、と心から思っています。その反面、このような「呪い」が自分を苦しめていることにも気づいています。

たとえば家でぼうっと過ごしたり、休暇を取って遊ぶのが苦手です。仕事モードからうまく切り替えられなかったり、スキマ時間でも語学の教材音声を聴いたりと、何かしなきゃ……という気持ちに追い立てられています。これでは気持ちが休まりませんし、一緒にいる相手も落ち着きません。

そのくらい学習を意識した生活をしていても、自分の理想どおりに身についていないので落ち込むこともあります。

さて今回は、社会人の「学び」がテーマです。

社会人の学習時間は1日6分?


ちょっと古い話題で申し訳ないのですが、自己啓発の界隈で有名になった衝撃的なデータがあります。総務省統計局が行った「平成28年社会生活基本調査」によると、有業者が「学習・自己啓発・訓練」に充てる時間は1日当たり平均6分間だということです。

学習する人が6分だけしかしないということはありえないので、これは学習する人としない人との差が大きく、まったく学習しない人が平均を押し下げているのです。

学習というと資格試験や職業上の試験などと思ってしまいますが、読書や趣味の習い事も含めていますので、多くの人が学習に時間を割かない、あるいは事情があって割くことができない、ということが分かります。

皆さんは学習は好きですか? 「好きです!」と胸を張って言える人は少ないかもしれません。理由のひとつには、日本の学校教育が試験のための勉強になってしまっていて、楽しむことに重きを置いていないこと、もうひとつは嫌いな教科を無理に勉強させられたために学習そのものが嫌いになってしまったことがあるように私は思います。

私が学生の頃は、学校で休み時間に本を開いていると「暗い、ガリ勉」と揶揄されたり、友達の間では試験対策ができていないことをアピールするなど、学習が好きであることがはばかられる雰囲気があったように思います。もちろんこれは環境にもよります。

そもそも「勉強」という言葉が良くありません。中国語では勉強は「無理強いする」という意味があります。日本語の勉強にあたる言葉は「学習」といいます。私も、学習と言い換えたほうが楽しい感じがします。

私が学習していること

私は楽器店経営者でフルート奏者ですので、自分の分野に関連したことを学んでいます。

音楽を演奏し、また教えてもいますので、新しいレパートリーを増やすために練習をしたり、新しい音楽を聴いたり、海外での音楽情報をチェックしています。

私が演奏するのは英語圏の音楽ですので英語、そして台湾・中国・韓国で活動することに興味があるため中国語と韓国語を日々学んでいます。語学学習については以前に連載で取り上げました。

「語学力をスモールビジネスに活かす」
https://brew-by.com/17905

他に興味のある分野として、最近は料理、木工、ガーデニングがあります。これは完全な趣味ですが、音楽と関連付けてなにかできないかなと思ってもいます。例えば自宅に美しい庭を作って、料理をお出して自分の演奏を楽しんでいただくとか、楽器ラックを作って販売するなどです。

最近はどんなジャンルにでもYouTubeの動画が充実しているので、本当に助かります。以前であれば本を読むか、人から習うかしかなかったものが、すべて動画で、無料で、自宅で、好きな時間に学ぶことができるのです。これを活用しない手はありませんね。

挫折した習い事は無駄だったのか

学習はとても楽しいです。

しかし、この1年でどれだけ自己成長したか? どれくらい語学力が伸びて、どんな新しいことができるようになったか? と聞かれると、自信がありません。

コロナ禍で暇な時期に新しい楽器を習得しようと意気込んだものの、中断してしまいました。趣味の木工やガーデニングも機材は揃えたのに、まったくできていません。それなりに頑張って時間とお金と労力を費やしているのに、これでは悲しくなります。

ちょっと辛いですが、これまで身につけようと意気込んで始めたのに、挫折したものを振り返ってみましょう。

私であれば、各種楽器、フォトショップ、アレクサンダー・テクニーク(音楽家のための体の操縦法)……。買ったままの本は数え切れないほど。とほほ。

では、そのお金や時間は無駄だったか? というと、決して無駄ではなかったのです。

その時はやりたいと思って始めたのだし、やりたかったことができた喜びがありました。体験してみてその分野への理解も深まりました。プロがどれだけすごいかも、やってみてわかりました。結局やめてしまったとしても、自分には合わなかったのだということが分かりました。つまり、諦めもつくようになりました。始めたことに後悔はしていません。

もしまだ諦めがついていないのだとしたら、それは「ただ中断しているだけ」なのです。育児や仕事が忙しくて趣味を中断することは、よくあります。気持ちさえ続いていれば、また再開するときがあるでしょう。だから、やっぱり無駄ではなかったのです。

年齢は言い訳にしない

私の音楽の生徒さんで私より年上の方々は、年齢を理由に自嘲的に「もうできない、覚えられない」とおっしゃいます。もちろん、その場を和ませるジョークで、真剣にそう思っているわけではないでしょう。しかし、ちょっとでもそう思っているのでしたら、こんなお話もあります。

かつて私の生徒さんで、最高齢の方がいました。80代で笛を習いに来られて、毎月熱心に通われていました。最初は指が固く開くことができず、笛の指孔を閉じるもの大変でした。それでも音楽が好きで練習を楽しんでいらっしゃり、毎回新しいことを学ぶと少女のように顔を輝かせるのでした。

その方の進むペースはとてもゆっくりで、何ヶ月もかけて一曲を仕上げるという様子でしたが、決して弱音を吐かず、飽きず、いつも喜びにあふれていました。

ある時、「これまで指が固くて雑巾が絞れなかったのに、絞れるようになったの」と嬉しそうにおっしゃいました。新たな習い事によって、脳や手指だけでなく、精神的にも若返っていたのです。その方は亡くなる少し前までレッスンに通ってくださいました。

私も40代になりこれから全く新しい分野の技能を身につけられるのだろうかと不安に思わなくもないのですが、そんなとき、あの生徒さんのことを思い出して励まされています。

身につくには相当の時間と練習量が必要

若い頃はなんでもできるようになるぞ! と思っていたのですが、色々なことに手を出してみて、何かを習得するのは、そう簡単ではないとわかりました。

私が生きるために使っている様々な能力。楽器の演奏、楽譜を読み書きすること、音楽をわかりやすく教える技術、各種外国語、ほかにも料理や家事や乗り物のの運転……。これらは、一朝一夕に習得したわけではありません。膨大な時間の学習と練習量そしてお金を投じて、ようやく「使える」レベルまで高めることができたのです。

ましてそれでお金が取れる「プロ」レベルまで高めようと思うのなら、相当な資源を注ぎ込まなければいけません。多分野で並外れた成功を収める天才がいますが、それは例外的で、普通の人間は一つのことを人並みにできるようになることだって大変なのです。

言語学習で感じることですが、「できるようになった」と自信を持つのは、検定に受かったときではなく、ネイティブと自然な会話ができるようになった瞬間など、ささいなことです。それは、自分の部屋で一夜漬けしても決して身につきません。ネイティブの発話を何百時間も聴いて、ネイティブと実際に会話をして、ようやく身につくのです。

私の文章ライティングだって、毎日毎日こうやって書いているおかげで、確実に上手くなっているはずです。

何かを習得できていないとすれば、それは単純に投入した資源が足りないだけです。厳しい言い方をすれば、真剣味が足りないのです。

学べることが幸せ。楽しく継続することが自己成長の鍵

私の習得ペースが遅いことは、認めるしかありません。3年やっている韓国語だって留学して毎週ネイティブの先生に習っているのに、初歩的な会話しかできません。大学生などは1年で韓国語上級試験に合格する人もいると聞くと、落ち込んでしまいます。

それでも新しいことを始めることを恐れたくありません。学ぶことを諦めたくありません。

多くの人が、自分の生活を維持するために必死で、学ぶ時間など取れない中で、自分の興味のあることを学べるのは、恵まれているのです。

人と比べることなく、楽しく継続すれば、それなりに進歩があるものだと信じています。みなさんも、楽しく学んで自己成長していきましょう。

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