池田記念美術館で、普光寺山門楼上の天井画と板壁画の修復展示が始まりました。

南魚沼市の浦佐にあります、「裸押し合い祭り」で有名な、浦佐毘沙門堂の普光寺様の山門楼上の板絵を3年がかりで修復させていただきました。その修復後の作品が、4月22日から5月28日まで、南魚沼市の池田記念美術館で展示されています。

4月29日(土)13時30からは、近くのコミュニティホールさわらびで、東京国立博物館の学芸員の瀬谷愛さんと共に、講演をさせていただきます。

山門に戻すとなかなか近くでは見ることができない絵。お近くの方は是非お出かけください。

この絵の歴史

この絵を描いたのは、江戸城の障壁画も描いた江戸幕府御用達絵師の板谷桂舟とその一門。この山門が出来た天保2年(1831)頃、200年くらい前に描かれています。この絵師の家に保管されていた資料が東京国立博物館に寄贈され、調査されました。普光寺様の山門の飛天の配置図などの資料が発見されたことで、普光寺様で調査が行われ、この絵の貴重さが再認識されました(この板谷家の資料は東京国立博物館のHP上にデータベース化されて閲覧することが出来ます)。

その後、絵の具の剥離や剥落が進んでいたことから、私に相談がありました。普段は仏像修復を行っていますが、仏像の彩色の剥落止めも行いますし、技術的には木と漆のものなら何でも修復しますので、対応できます。

絵は触れると絵の具がポロポロと落ちてしまいますので、一旦、紙貼りをして保護した後に、天井から外して、工房に持ち帰って修復を行いました。(写真は修復前後)

保存環境の良い山門楼上で、200年という歳月

絵は技法的にも優れ、材料的にも良いものが使われており、普段は人の入らない紫外線にさらされない湿気も上がって来ない保存環境の良い山門楼上にありましたので、割合と保存状態は良いものですた。しかし、やはり200年という歳月の中で、膠も弱り、劣化が進んでいましたので、しっかりと剥落止め処置を行いました。特に今回は、東洋絵画文化財修復の理念から、補彩は行わないという方針で、保存処置の傾向の強い修復としました。

板谷家の資料には、天井画の配置図と下絵、十六羅漢図の下絵資料などがあり、絵師の製作の様子を示す資料と、絵の現物の両方が残る事例としても貴重です。十六羅漢図の方は、古い絵の模写を、現代でいうコピー・ペーストして使っているのも興味深いです。中国の11世紀(1000年くらい前)の絵師の李竜眠の絵を起点としていると考えられる模写作品が、日本には時代を通じて描かれて沢山残っていますが、連綿と模写が引き継がれていることが分かる資料としても貴重です。

(写真上は、普光寺の板壁画。
下は、東京国立博物館蔵 金大受 南宋12世紀
提供:ColBase)

天保二年(1831)に地元の宮大工の内藤藤蔵によって建てられた山門は、ケヤキ材の梁の太い豪壮な建築です。棟札や設計図、手間賃などを記録した文書も残されています。それに加えて内部にある絵が江戸幕府お抱え絵師の板谷桂舟の一門のものとすれば、より一層貴重さが増します。

今後、100年、200年と大事に伝えていって欲しい文化財です。

展覧会会期中の日曜日には、山門楼上に上がって、天井画を戻すと見られなくなる太いケヤキの梁を見る事ができます。

 

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