あの山の向こうにお湯が待つ♬【渡合温泉 前編】

加子母の里へ

夏は涼しい高嶺を渡り歩いて山小屋に泊まることを年に一度の楽しみにしてきましたが、今年は南アルプス定番をちょっと味わっただけで、やや不完全燃焼を感じていた9月下旬。今更、高山植物の花も終わってしまった高嶺に遠征するのも気乗りがしません。そこで少々趣向を変更して、山間部の秘湯の宿を目指して歩き、あわよくば山にも登ってしまおうという野心的な作戦を立案しました。

9月最終の週末、今となってはすっかりおなじみとなった中津川ICから木曽川支流の付知川沿いに裏木曽街道R257を北上、中津川市に吸収合併された旧加子母村の道の駅にやってきました。この道の駅を基点に加子母の東に連なる阿寺山地の支尾根、標高1,500m前後の加子母アルプスの稜線を乗り越し、付知川上流の渡合温泉を目指します

実は、この日はNHKの朝ドラ「らんまん」の最終回。単身赴任で名古屋にやって来た4月以降、毎朝楽しみに視聴してきただけに見逃すわけにはまいりません。(名古屋にビデオがない)ということで、必然と遅出になってしまい、加子母に到着したのはお昼前です。

加子母から加子母アルプスの稜線木曽越峠を越えて阿寺山地の山懐渡合温泉。渡合から更に阿寺山地の白巣峠を越えて木曽御嶽山の麓王滝に至るルートは、かつて木曽周辺の御用林を管理していた尾張藩の山役人が、御用林を巡検する際に歩いた木曽越古道でもあります。木曽越古道を王滝まで歩き、王滝からバスで木曽福島、更に木曽福島から中央線で中津川、最後はバスで加子母に戻るという歩き&乗りの両取り欲張り大作戦を立案したのですが、予定日の後半が雨の予報になってしまったので、加子母から渡合温泉のピストン歩きに変更となりました。さて、どうなりますか…

加子母の里は黄金色。それを縁取るように畦には真っ赤な彼岸花が見頃になっていました。標高のせいか各地の彼岸花の名所より随分と遅いようです。長野、岐阜の県境に位置する加子母は、裏木曽と呼ばれ、木曽地方同様に古くからヒノキ材の産地で、江戸時代は尾張藩の厳しい管理下に置かれていました。「ヒノキ1本首ひとつ。枝1本腕ひとつ」の言葉はそれを象徴しています。平成の大合併により、旧加子母村は中津川に吸収合併されて消滅しましたが、木材産業や加子母歌舞伎など郷土の文化は引き継がれています。

いにしえの木曽越古道を辿る…はずが

さて、前置きが長くなりましたが、道の駅加子母で昼飯の栗おこわを購入したら出発です。木曽越古道の表示は集落内に点在しているのですが、古道に沿って33体あると言われる観音様の1番が見つかりません。通りかかったお宅の前で草むしりをしていたおばちゃんに声をかけてみると、「そんな話はあるみたいだけど、観音様なんて見たことないね。林道は山裾の道に沿って行けば柵があるよ」この手の話は、地元住民の興味をひかないことが多いものです(笑)1番観音に拘っていてはいつまで経っても出発できないと、山裾の法禅寺の門前に立ち道中の安全を祈願しました。法禅寺から山裾の道を少し北に行くと木曽谷林道の出合い。入り口に設置されている動物除けのゲートを開いて進みます。山を囲むようにして動物の侵入を防ぐ柵が張り巡らされていますが、これがないと耕作地は増えすぎたイノシシやシカに瞬く間に食い荒らされてしまうのでしょう。現代の万里の長城、いや、進撃の巨人かな(笑)

ゲートの脇に4番の観音様が微笑んでいました。

木曽越古道は木曽谷と呼ばれる沢沿いに延びているようですが、古道が姿を変えたと思しき木曽谷林道は、沢から離れたと思いきや四方八方に分岐し始めました。もはやこうなると迷路歩きで古道どころではありません。古道は何処へ?なんと、林道周辺の笹やぶに延びる僅かな踏み跡を何とか見い出すばかりでした。加子母アルプス西面の迷路状に分岐した林道ですが、標識がついているところをみると生活道路としても利用されているようです。そういえば1番観音をたずねたおばちゃんが「木曽越古道は知らないけど息子の車で上の方まで行ったことはあるよ」なんて言ってたよな。木曽谷沿いに直登していくことを想定していたのが随分と南にもっていかれているような気がします。山腹を巻いて延びる長い長~い林道歩きには辟易させられます。また、標高を徐々に上げていくのですが、強い日差しが容赦なく照り付けるので、全く涼しくありません。持参した国土地理院の地形図(1/25,000)で確認すると九十九折になっているところはどうしても真面目に歩くのが馬鹿らしくなりました。幸いとある沢沿いに延びる踏み跡を発見。ショートカットを期待して踏み入れてみます。

最初のうちは良い具合でしたが、進むにつれて踏み跡は不明瞭になり崩落、倒木やクモの巣にこれまた辟易させられます。特に倒木は酷いもので、乗り越えたり潜ったり…これでは真面目に林道を歩いた方が早かったかもしれません(笑)それでも単調な林道を無味に歩いていくよりは変化があって楽しいものです。例えばカツラの大樹。植林帯の中にあって伐採されず生き残っていました。沢沿いに生えたのが幸いしたのでしょうか。また、古いワサビ田や炭焼き窯の痕跡は、かつてこの場で人の営みがあったことを感じられて、誤って獣道に踏み入れたのではないか?という不安も和らぎました。

再び木曽谷林道に出合い更に林道を進みます。標高1,200mを超えると加子母アルプスの稜線が近くなって空が広くなりました。樹林帯から抜けると西側の展望が開けて、加子母の里を見下ろし、向かいの東農高原の山並みがよく見えまていました。その先には岐阜城(金華山)などが見えて、遠景には養老や鈴鹿の山々が望めました。 地図上では、加子母アルプスの稜線の手前で止まっている木曽谷林道ですが、延伸したのか稜線を乗り越しています。木曽越峠の表示は未だ見つからず…

林道で出会ったお花たち

下界は、まだまだ残暑が厳しい頃でしたが、稜線に近づくと秋の気配を感じました。

ミソソバ?とハナアブクサギの花アケボノソウとアサギマダラヤマハハコ

急遽、高時山に寄り道

さて、ここまでの道すがら「高時山登山口」の表示が気になっていました。高時山は加子母アルプスを形成する一峰ですが、どうやら木曽谷林道の一部は高時山の登山道にもなっているようです。いくら秘湯がお目当てだとしても、目前のピークの存在に気付いてしまった以上、おめおめと素通りしては(三流とはいえ)山屋の名折れです。どうせ古道からも逸脱しているので、寄り道にはなりますが林道から離れて高時山のピークを踏むことにしました。

登山道はミズナラやブナ、カンバの森の中を通じていて、あまり歩かれないのか、ササが成長して踏み跡を覆い隠そうとしていました。既に日がかなり傾いてきました。残暑が厳しくても秋の太陽はつるべ落とし。少し足を速めることにしました。木曽谷林道から小1時間で高時山(1564m)の山頂に到達しました。東側の樹林が開けて、噴煙を上げる御嶽山が真正面♬阿寺山地の山々は、いずれも山頂が御嶽山の展望台です。

木曽のなぁ~中乗りさん チョイチョイ 木曽の御嶽山は ナンジャラホイ 夏でも寒い~ ヨイヨイ♬ 木曽節にはそう謡われますが、今は秋でも暑い~よ~♫多くの犠牲者を出した2014年の噴火から既に9年が経過しました。あの噴火もちょうど9月下旬の天気の良い日でしたね。「キミキミ、アライ…アデラだよ」御嶽山の左手前に阿寺山地の最高峰小秀山が穏やかな山容を見せていました。よくよく目を凝らすと山頂に避難小屋が見えています。小秀山の避難小屋は比較的新しく、夜は名古屋の高層ビル群の夜景も見えるそうです。いつかは泊まってみたい山小屋です。さて、再び木曽谷林道に戻って稜線を乗り越し、少し下った鞍部が木曽越峠(約1300m)でした。木曽越古道の道標と観音様が二体。歩いてきた木曽谷林道はここまで。木曽越峠は加子母アルプスの稜線に沿って北西に延びる木曽越林道、東側の渡合に下る高時山林道が分岐しています。

今回はここまでにいたしとうございます。後編は高時山林道から木曽越古道を歩いて渡合温泉に下ります。

ご笑覧いただきましてありがとうございました。

□ ANOTHER STORY

ケルトの笛 hatao

SHINGO KURONO

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Shoto Terui