上高地クラシックルート【後編】

長野県松本市島々から島々谷、徳本峠を経て上高地明神に至る延長約20kmの上高地クラシックルートこと島々谷ルート。

長年頭の片隅で思い続けてきた島々谷ルートですが、実行力が伴わないまま年月が流れ、ようやく重い腰を上げようとしたところに、令和2年の群発地震と豪雨で被害を受け、長らく通行止めとなっていました。

その後、地元や山岳愛好家ら有志の方々のご尽力により数年にわたる復旧作業が行われ、今年9月6日に通行止が解除されるという情報を得たのは、夏の終わり頃。こういう機会でもないとまたズルズル先延ばしになりそうなので、思い切って解禁当日に歩くことにしました。

前編(上高地クラシックルート【前編】 | BREW (brew-by.com))では記憶にある限りで能書きを並べましたが、後編は実際に歩いた際の風景をご紹介します。

2024.9.6 シマシマ

夜行でぶっ飛ばして(あくまで安全運転ですよ)クラシックルートの起点である島々集落に到着したのは、払暁の時刻。寝不足と夜間運転で頭がボーっとしていますが、この日はロングトレイルになるので、少しだけ仮眠したら出発しましょう!【現在のクラシックルートの導入。本来はカーブの所が導入だったそうです。】

島々集落から島々谷川に沿って北に延びる島々谷林道を歩きます。集落の外れに林道のゲートがありますが、これは野生動物の侵入を防止するもので、車両の通行を妨げるものではないようです。ワタクシの場合、上高地に通り抜けた後は、バスで島々に戻る予定だったので、車で林道に入ったところで取りに戻るのが面倒になるだけで意味がありません。そのゲートの前に朝も早よから地元新聞の記者さんが待っていました。クラシックルート解禁を記事にするとのこと。不肖、ワタクシも被写体にパチリ。

林道に踏み出して、しばらくは島々谷川の右岸を歩きますが、川面が近く清流の風景を楽しみながら歩けました。やがて左岸に渡ると進むにつれて谷が深くなり、川面を見下ろすようになっていきました。

途中、島々谷第3号堰堤の巨大な堤体がありますが、樹木が遮ってなんとなく存在感を感じるだけでした。島々谷川に建設されたこれら堰堤は、昭和20年に発生した島々谷川の土石流災害を踏まえた砂防事業で建設されたそうです。      【山の神】

【島々のさわら】

林道区間では土砂の流入箇所が目立ちましたが、復旧したとはいえ、抜本的な改修が行われているわけではないので、今後も大雨が降れば土砂が流入してしまうことでしょう。災害と復旧の繰り返し。このいたちごっこが全国的な林道事情なのでしょう。また、林道区間と言えども油断はなりません。実際に谷の対岸を当たれば死を免れないようなサイズの岩が落下している様子を目の当たりにしましたし、不気味な落石の音が時折谷を渡っていました。ワタクシは持参すらしなかったのですが、ヘルメットの着用が必要でしょう。約6kmほどの島々谷林道歩きは、島々谷川上流の北沢と南沢が出合う二俣で終わります。二俣には島々谷発電所の取水堰がありますが、発電所も取水堰も施設は無人管理です。二俣には、前回ご紹介した三木秀綱夫人の戦国悲話の解説版と非業の死を遂げた夫人を悼んだ折口信夫(歌人ネームは釈迢空)の歌碑が設置されています。

をとめ子の 心さびしも清き瀬に 身はながれつつ人恋ひにけむ 釈迢空

島々谷の本流に到達し、島々を経て故郷の波田まであと一息という安堵感もあったのではないでしょうか。その矢先に杣人に見つかり殺害されたわけですから、さぞや無念だったことでしょう。この逸話には諸説あるようですが、昔話として、あまり突き詰めたくはないのがワタクシの思いです。

クラシックルートの核心部へ

 さて、クラシックルートは、二俣から北沢方面に延びる島々谷林道(立入禁止)と分かれて、南沢沿いの杣道になります。二俣から南沢を経由して徳本峠までの約8kmは、クラシックルートの核心部といえるでしょう。【沢沿いに多く見られたカツラの木 木もれ日がまぶしい】

南沢の導入は沢の右岸につけられたほぼ平坦な水平移動になりますが、部分的に土砂の崩落で道が寸断されています。しかし、そのような箇所は復旧作業で整備され、鎖の設置や高巻きの迂回路がつけられていましたので通行は可能です。復旧にご尽力いただいた関係各位には、この場を借りて感謝申し上げます。往き橋で左岸、戻り橋で再び右岸、瀬戸下橋、瀬戸上橋とルートは何度か沢を渡り返します。岩盤が川に迫り出した「へつり」状の渓谷にもしっかりとした道が通じっていました。よくもまあ、こんな山深い渓谷に道が造られたものです。

とはいえ、現代の車社会とは違って、旅人や労働者は歩いて国境を越えた訳ですから山を飛び谷を越えても最短という選択肢になる時代だったのでしょう。また、南沢は距離があるものの高度差は小さく、沢沿いに進むことで道迷いが生じないメリットもあったことでしょう。南沢区間のほぼ中間点に位置するのが岩魚留小屋です。現在は営業しておらず、中は荒れ放題となっていましたが、縁側に座って聞こえてくる沢音や風音に耳を傾けていると、行き交う人々の足音や吐息も聞こえてくるような気がしました。 【キベリタテハ】

河川周辺の地名あるあるですが、岩魚留という地名は面白いですよね。南沢もかなり遡行してきて、岩魚留の滝もあり、川魚の中でも最も源流域に生息するというイワナですらこれ以上上流には生息できないという意味なのでしょうけど、実際はもう少し上流までいそうな雰囲気でした(笑)【ダイモンジソウ】

岩魚留から更に南沢を遡行していくと何度か沢を渡り返したり、下草が多くルートが不明瞭ですが、テープを頼りに進みます。狭隘だった渓谷も広がりを見せ、明るい草むらにはサラシナショウマやアザミなどの花を見かけました。【ヤマトリカブト】

【キツリフネ】

【シラネセンキュウ】

【オヤマボクチ(ヤマゴボウ)】

時の峠を越え上高地へ

二俣から4時間。南沢の源頭部に至りました。ここからルートは北に折れて、南沢の支沢峠沢に沿いを歩いた後、ルート最高地点徳本峠(とくごうとうげ)に向けて、標高差500mを急登します。この峠越えは南斜面をジグザグと九十九折の道が続いていますが、今まで半日歩いた末の登りはかなり辛いものがありました。【オオアカゲラ】

沢沿いの暗い針葉樹林からダケカンバなどの落葉広葉樹に変わり、樹間から垣間見る空が徐々に近づいてきました。【センジュガンピ】

クラシックルートの最高地点、標高2135mの徳本峠。峠に立って真っ先に感じるのは、梓川の対岸にそびえ立つ穂高連峰明神岳の荒々しい岩峰に向き合う異世界感です。我が国にレジャーとしての登山を伝えた宣教師ウォルター・ウェストンも穂高連峰を目の当たりにして、征服感をたぎらせたことでしょう。ワタクシといえばその真逆。山には歩いて楽しむ山と眺めて楽しむ山の二つがあることをわきまえております(笑)ウェストンの他にも芥川龍之介、高村光太郎・智恵子夫妻、志賀重昂ら著名人もこの峠を越え、更には三木秀綱の夫人も…当に峠の群像であります。

峠に建つ徳本峠小屋は、創建が関東大地震の発生した大正12年(1923年)といいますから、今年で101年目を迎えます。小屋前にはテント場があって、翌日、霞沢岳を目指す人たちが上高地側から上がってきていました。さて、クラシックルートは、残すところ徳本峠から上高地明神への下り約4kmになりました。涸れ沢沿いの九十九折の道で高度を落としたら、鬱蒼としたコメツガやシラビソの森の中に延びる道を進みます。峠の取り付きでツキノワグマが笹薮から飛び出て斜面に駆け上がってきましたが、お互いを驚かせただけで済んだのは幸いでした。【沢沿いに咲くヤマハッカ】

【サラシナショウマ】

【ゴジュウカラ】

梓川の左岸に通じる遊歩道に出合うと明神はすぐです。このまま明神から上高地バスターミナルまで歩いても、最終バスには充分間に合う時間でしたが、慌てて帰る理由もないので、この日は明神館に泊まって、翌日ゆっくり帰宅することにしていました。ビールが飲みたいしね(笑)今まで何度も訪れた上高地でしたが、早朝の上高地を散歩したのは、子供の頃に親に連れられて訪れたとき以来です。もっとも、ほとんど記憶に残ってないのですから、その時はあまり気乗りがしなかったのでしょうけど(笑)夏休みや秋の行楽シーズン。休日ともなれば、上高地に入るバスの起点となる沢渡や平湯は、早朝からマイカーが押し寄せて、ひどい渋滞状況です。少しでも足に自信のある方、山歩きの心得があるか方は、1日多い行程となりますが、クラシックルートを選択されてみてはいかがでしょうか。

最後に。クラシックルートに関する情報は、島々集落にあるアルパインカフェ「満寿屋」さんに聞くといいでしょう。オーナーさんはルートの復旧に多大なるご貢献をいただいております。お立ち寄りの際は、ウゑストンカレーもご賞味あれ!

URL:【公式】Alpine Cafe 満寿屋 (yama.cloud)(旧twitterXもあります)

今回もご笑覧いただきまして、ありがとうございました。

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