山笑海笑

神奈川県西部在住。丹沢や大磯丘陵を歩いて、風景を楽しみ動植物を愛でるのが好きです。週末は郊外に出て山野を歩き回っています。令和5年は転勤で名古屋周辺を楽しんでおりましたが、1年で帰ってまいりました( ̄О ̄)ゞ

山笑の大鹿村騒動記

長野県の南信地方、西に連なる中央アルプスと東に連なる南アルプスの間に南北に長い伊那谷があります。この伊那谷のやや東寄りに標高1500m程度の山が南北に連なっていますが、この山並みを伊那山地といいます。伊那山地の東側は、北から高遠、長谷、大鹿、上村、遠山という谷あいの地域がありますが、これらは関東~九州に至る日本列島を南北に分断する大断層中央構造線の線上に当たります。

この谷あいの地域ですが、中央構造線に沿って南北に国道R152号線が通じているので、一見、一体感があるように思えますが、左にあらず。R152は、遠山から南へ浜松市天竜区に抜ける県境の青崩峠と上村と大鹿を隔てる地蔵峠は国道指定後半世紀を経過しても未通区間になっています。また、長谷と大鹿を隔てる分杭峠も1車線の狭い山道で、R152は「酷道」に名を連ねている始末。全線開通の停滞は土砂崩落など中央構造線の影響によるところが大きいのです。

さて今回は、7月上旬に南信を旅した中で、この地域のちょうど中央に位置する大鹿村に立ち寄った際のお話です。

大鹿村ってどんなところ?

前述のとおり、大鹿村は中央構造線の形成する南北に長い谷間のほぼ中央部にあり、北の分杭峠と南の地蔵峠によって近隣の地域と隔絶され、行き来が困難です。唯一、伊那谷から天竜川支流の小渋川沿いに伊那山地を越える県道22号線が生命線ですが、ひとたび大雨などの災害によりこの道が不通になれば、完全に孤立してしまうでしょう。(小渋渓谷と右岸を通じる県道22号線)

(県道沿いに見る名もなき滝)

小渋川に沿って村内に入ると道の駅「歌舞伎の里大鹿」があり、観光の拠点となっています。観光といえば、南信、東濃、奥三河など近隣の地域に共通する民俗芸能大鹿歌舞伎があり、春と秋の公演には多くの人が訪れるようです。

その他、自然にあふれる大鹿村ですが、忘れちゃいけないのが南アルプスの登山口としての大鹿村です。村内のほぼ中央部に座す鳥倉山。この山に通じる鳥倉林道を起点として、日本三大峠の三伏峠を経て、南アルプスの名峰塩見岳に登山道が通じています。また、南から流れ下る小渋川を遡行すれば本邦第7位の高峰赤石岳に至り、北から流れ下る塩川を遡行すれば、これまた三伏峠を経て塩見岳に通じています。

食べ物はジビエやブルーベリー、豆腐などが名産のようです。

アルプスの山麓に湧く塩の湯

今回大鹿村を訪れた第一の目的が、秘湯鹿塩温泉に浸かることです。南信伊那谷から更に一山越えた中部山岳地帯のど真ん中にあって、海水並みの塩分濃度という珍しい泉質の鉱泉が湧出し、先述の南アルプスの名峰塩見岳に通じる三伏峠付近に端を発した塩川渓谷に2軒の温泉宿が軒を連ねています。

その由来は、読んで字のごとく、山中に分け入った漁師が鹿が塩をなめている場所を発見したとか、弘法大師が旅の途中でこの地域の農家に一夜の宿を求めた際、塩が不足していることを理由に断られたことから、塩分濃度が高い鉱泉を湧出させたという伝説があります。弘法大師のおかげをもってか?開湯以来、製塩も行われ今日も細々と続いているそうです。

しかしまあ、塩見岳から端を発した塩川。その畔に塩分濃度の高い鹿塩温泉。高血圧予備軍のワタクシには少々危険を感じる場所ですね(笑)

お目当てのお湯ですが、真水より心持ち温かい鉱泉の源泉そのままと40度ほどに沸かした二つの浴槽があります。竹のチョロから落ちる源泉をなめてみると…ウム、しょっぱい!

さてさて、夕餉のお時間ですよ♪

どれもご当地ならではの素材が並ぶ中で、特に目を引くのは大鹿だけにジビエの鹿肉料理、それに信州名物鯉料理です。

鹿肉は素材の食感を生かしたカルパッチョやオリーブオイルをかけた冷温づくり(鹿刺)。歯応えがあってお肉の味わいが楽しめますが…え?年寄りには手ごわいって。仕方ない、一手に引き受けましょう!お姉さん、冷酒味比べをお願いします(笑)

食用としての鯉は佐久地方が有名ですが、南信の宿でもよくお目にかかる長野県を代表する料理です。輪切りにした鯉を煮込んだ鯉こくが有名です。薄切りにしたあらいも美味しいですよね。こちらは年寄り受けも上々でした。でも、これだけでお腹いっぱいとの声も。(今宵ハイササカ酩酊シテオリマス…)

標高五千尺、神秘の池を見た。

翌日、鹿塩温泉から大池高原までドライブしました。塩川の渓谷沿いをしばらく走り九十九折の山道に入ります。山林や集落をぬけて30分ほど走ると標高5千尺(1500m)の大池高原に至ります。高原は南アルプスから延びる尾根の一角にあり、深い森が広がっています。

高原の入口にはパラグライダー場があります。西側の展望が開けて、伊那谷を挟んで対峙する木曽山脈(中央アルプス)が一望です。北の木曽駒ヶ岳から南の恵那山まで木曽山脈の名だたる山々を同定できました。

展望地から進んだ林間に公共の大池高原キャンプ場があります、管理人不在ですが、利用料ワンコイン(500円)で清潔感がある炊事場、トイレが完備されているキャンプ場はお得感が大きいです。神奈川からいくとガソリン&高速代がバカになりませんが(笑)(静かな湖畔の森の陰からもう起きちゃいかがとカッコウが鳴く…♬)

更に進むと大池高原の代名詞、白樺やカラマツの森の中にひっそりと水をたたえる大池があります。池の周りを歩いみると、既に花は終わっていましたが、クリンソウが群生していました。池を覗いてみると小鮒の群れがのんびりと泳いでいました。このような環境の厳しい高所の池に鮒が生息しているのも不思議に思えました。(わずかに残っていたクリンソウ)(水面を泳ぐ小鮒の群れ)

この神秘的な大池にまつわる昔話をご紹介しましょう。

昔々、山麓の鹿塩集落で人寄せが行なわれた際、宴席の膳椀が足りないので、家主がこの池の主に必要数を貸して欲しいと懇願すると、翌朝、必要数の前腕が池に浮かんでいたそうです。しかし、この膳椀をネコババした人がいて、その後は懇願しても二度と膳椀が浮かぶことはなかったそうです。この池の主は、諏訪大社の祭神「甲賀の三郎」と呼ばれる大蛇とも、駒に化身して木曽駒ヶ岳に飛んでいったともいわれています。

近年では青いケシを育てる農園やおしゃれな地産カフェも流行っているようです。次回訪れる際は、これらスポットも訪れたいと思います。

大鹿に子熊これ如何に?

さて、大池高原から大鹿村の中心部大河原に下ってきました。以前より大鹿村を訪れた際は、ぜひ見ておきたかった風景がここにあります。

伊那山地の一山大西山の大西崩れです。昭和36年6月の豪雨「三六豪雨」では、伊那谷をはじめ全国的な水害となりましたが、6月29日には大西山で山体崩壊が発生し、崩壊した土砂が小渋川対岸の集落を埋没させ多くの犠牲者がでました。

小渋川左岸の埋没地は、犠牲者の慰霊と復興を祈念した大西公園として整備され、桜の名所となっています。高台の公園から小渋川を見下ろすと、小渋川の流れの先に赤石岳が望めます。この景色こそ大鹿村を象徴する景色といえるでしょう。

その一方で、大西崩れの荒々しい姿は半世紀以上経過した今でも変わりません。興奮して崩壊地の真下まで行ってみると、あれ?黒い動物が…

目の前を子熊が通り過ぎて山へ駆け上がっていきました。「おい!熊、待てや」と声をかけると、振り向いてこちらをうかがいましたが、ヤバい相手と思ったらしく、そのまま斜面を上がっていきました。子熊を威嚇して悦に入った山笑でしたが、実は母熊が近くにいたのではないでしょうか。お別れ間際のささやかな騒動でした(笑)

お土産に頼んでおいたブルーベリーを買ったらR152を北上。分杭峠を越えて帰途につきました。峠付近でシカに見送られましたが…ゴメン、昨夜、君たちの仲間をいただきました。

昭和の銀幕で活躍した個性派俳優原田芳雄さん。彼は晩年監督としてメガホンを握りましたが、その遺作となったのが「大鹿村騒動記」です。正直なところ観たことのない作品ですが、いずれ視聴して大鹿村の思い出を振り返りたいと思っています。

今回もご笑覧いただきまして、ありがとうございました。