消しゴム
大人になってこんなに消しゴムを使うのは古本屋ぐらいだという話があります。他の職業のことはわかりませんが、古本屋はとてもたくさん消しゴムを使います。速いときには一週間で一つ使い切ってしまいます。
ずっと握りしめているものだけに、その消しゴムの使い心地にもこだわりがあります。私はプラスのエアインがお気に入りでしたが、含まれる可塑剤がヨーロッパの規制にかかるとかで別のものに変えられてしまいました。新しい仕様では、消しカスが大きくまとまらず、粉のようになってしまいます。本に使うとノド(紙を綴じている部分)に入り込んでしまい、筆を使って払っても取り切れないことがあります。しばらくは理想の消しゴムを探して放浪しそうです。
ちなみに、鉛筆は大切に使うのでなかなか一本を使い切りません。
古本屋と書き込み
古本屋で消しゴムを使うのはもちろん、本の書き込みを消すためです。古本屋と書き込みは切っても切れない縁があります。本文にペンで書き込まれたら、ほとんどどうしようもありませんが、鉛筆であれば消すことも可能です。外側に名前などが書いてあることもありますが、ビニールコートしてある本であればたいてい消せます。意外ですが、ボールペンも消しゴムで消えます。
本文の行間や、周辺の余白部に注釈や感想を書いているのは、消しゴムの角を使ってていねいに消します。雑にあつかうと紙をクシャクシャにしてしまうことがあるので、消す部分の両端を押さえて、なるべくページの内側から外側に向かって力を入れるようにします。力を入れすぎると印刷まで薄くなってしまうので、書き込みの線に沿ってなぞるように消しゴムを動かします。
書き込みの発見
書き込みを消すためには、まずどこに書き込みがあるかを発見しなければなりません。全ページを一枚ずつ繰っていけば確実ですが、時間がかかります。本を買い取るときなどに、すべての本をそんな風にしているわけにはいきません。
書き込みをするときには本を強く押さえてページを開きますので、そこにわずかながら癖がつきます。本を軽く持って自然に開くと、そのページで本が開きます。あるいは付箋や折り込みのついているページ、目次に印があればその章を見ればたいてい書き込みがしてあります。
よく触ってありそうな本を確認して書き込みを見つけたら、だいたい癖がわかりますから、どのような本のどんなところにどんな風に書き込みをしているか見当を付けて他の本も調べます。
書き込みをする人しない人
書き込みを見ていると、その人物もある程度わかります。たいていは重要な部分や、気に入らない部分に線を引くか、疑問点などを書き込むのですが、中にはながながと反論を書いている人もいておもしろいです。書かれている本は学術書などが多いのですが、難しい本にばかり書く人、比較的読みやすい本に書き込みが多い人。ほとんどの本に書いている人、ごく一部の本にだけ執拗な書き込みをしている人。いろいろです。小説や詩に書き込みする人は少ないのですが、たまには感想などが書いてあります。
古本屋では、良くある本は安価で、珍しい本は高価で取引されますが、なぜか高い本にばかり書き込みしてある先生がいて、これは驚きました。なんせ5000円、一万円という本ですから、何十分もかけて消しゴム一個を使い尽くさんばかりの勢いで消しました。
痕跡本、手沢本
本の著者が自分の本に書き込みというか、校正していることが稀にあります。関係者のところから見つかることがほとんどですが、重版のときには改訂しようという内容をかなり詳しく記していることもあり、場合によってはたいへん貴重です。いちど、そのような本に相当の値を付けておいたところ、クリーニング担当のスタッフが消してしまったときには泣きそうになりました。
著者自身でなくても、有名な人が書き込みしている本を欲しがるマニアもいます。大学者の蔵書や書き込みはそれ自体研究の対象になったりします。最近は無名の一般人の書き込みや、そのほか前の所有者の残したいろいろな跡を大切にする古本の楽しみ方もあるようです。古沢和宏さんがそういう前の持主の痕跡が顕著な古本を「痕跡本」と名づけてから、愛好者が増えています。
そんな痕跡本のうちでも、その人物の愛読書で持主の手の跡が濃いものを手沢本といいます。ボロボロに読み込まれたような本ですが、特に故人のものではその人物への思いがある人にとっては形見のようなもので、コレクションの対象になることもあります。
写真のこのぼろぼろになるまで読み込まれた本は、ミシェル・フーコーの『狂気の歴史』です。全ページに何度も開いて読んだ痕跡があります。