最後に残ったひとつが、あなたの生きる道

旅行中の仕事のしかた

ケルトの笛のhataoです。たった先ほど、3週間のヨーロッパ旅行から日本へ帰ってきました。

前回の記事では、ヨーロッパを仕事しながら旅をしています、だなんてノマド・ワーカーみたいに気取ってみたのですが、それが上手くいっていたのはせいぜい最初の1週間の一人旅の間だけ。

その後2週間、現地の知人を頼って滞在させてもらいながら、オーロラや遺跡を見たり、音楽家や楽器職人を訪ねたり、伝統音楽フェスに参加したり、自分のコンサートをしたり、それは充実した旅でした。しかし、旅先で人に身体を預けるということは、好きな時間に仕事ができないということを意味します。

その間にもどんどん顧客からのメールやトラブルの報告は来るし、原稿の締め切りは来るし、気もそぞろです。ヨーロッパの地方都市ではWifiの環境も思うようになりません。いくらヨーロッパ共通SIMカードで日本と常時通信ができると言っても、電車やバスの中でスマホの小さな画面では全然はかどりません。結局、旅も仕事も思い切りできず、中途半端になってしまいました……。

ライターなど、旅と仕事を結びつけてみたいと思っている方は、僕みたいにならないように、以下のポイントをおさえて計画すると、良いと思います!

・宿のWifi環境とテーブル。個室であれば仕事に集中できてベストですが、ドミトリーの共有スペースでもOKです。

・移動や観光中は仕事にならないので、宿のチェックアウト前など1~2時間程度は仕事時間を確保すること。

・街の中でも、一人になって集中して仕事ができる時間と場所を確保すること。WifiのあるカフェでOKです。

・週に1日は移動もせず完全に仕事だけの日を計画に入れること。

打ちのめされる体験

※今回から、一人称を「私」から「僕」とします。

前回は大学を出て音楽で勝負をしようと思ってみたものの思うようにいかず、就職をしてみたが、それもうまく行かなかった、という話をしました。実はそこに書いていないことがあったのです……。

フリーターをしながら音楽活動をしていた頃、自分は今でこそパッとしないが、きっとうまくやっていけるのではないか、という妙な自信がありました。

まだ20代前半と若く、ライブに来てくれる固定ファンもいたし、若手のホープだと褒められて、女性にそれなりにモテて、身の回りだけの小さな世界で天狗になっていたのでしょう。若者によくある話かもしれません。

だからチャンスさえあれば、有名人に拾ってもらえるだろうと思っていました。大学時代に音楽しかしていなかった自分には他に希望がありませんでしたから、ガツガツしていました。今から思えば、本当に恥ずかしいです。

そんな24歳のときです。自分の実力を試したくてヨーロッパに2ヶ月の武者修行の旅に出ました。本場の演奏はどんなものだろう。ツワモノたちに揉まれて成長したいと思ったのです。あまり予定を決めず、往復の航空券だけ買って、後は流れにまかせようと、出発しました。

写真:途中で出会った音楽家2人と車1台でフランス南部をツアーしたときのこと。

実際はそんな甘いものではありませんでした。あちらの音楽のレベルの高さや、アマチュアでも相当な腕前の人がゴロゴロいること。自分の音楽に誇れるものは演奏技術しかなかったのに、実はそれも全然大したことがなかったという事実に頭がくらくらしながら失意で帰国しました。

打ちのめされた」のです。こういう鼻を折られるような体験は、若いからこそできるのかもしれません。その上、帰国後すぐに当時の彼女にもフラれて、まさに失意のどん底です。僕はもう音楽を辞める気持ちで、その日に生まれて初めてバリカンで頭を丸めて、違う道を探すことにしました。それから先は、甘い気持ちで就職してみるも、そちらもダメ…ということになるのですが。

写真:自分らしさを見失っていた頃。

何もかも失ってボロボロに

音楽に未練はあったのですが、自分をだまして、音楽家であることを隠して、憧れだった正社員の職を得ました。「ああ、これで僕の人生は救われるのだ、あとは長年勤めて、平凡だが安泰の人生を送るのだ。」そう思い込んでいました。

しかし、現実は違いました。当時ブラック企業という言葉はありませんでしたが、いや、自分の市場価値にふさわしい仕事を引き当ていただけだったのでしょう。自分が「その程度の人間」だったのです。

人を雇ってはやめさせて使い捨てにするようなパワハラ、残業が当たり前の長時間労働の職場。

25万円の給料と引き換えに、楽器を練習する時間を失い、音楽家としての信頼を失い、健康を損ない、上司にけなされて自尊心も失い、最後の方は通勤中にお腹が痛くなるくらいボロボロになり、このままでは未来も失いかねないと、失意のうちに退職しました。

音楽もだめ、まともに会社員も務まらない。八方ふさがりで、本当にどうしようもない状況でした。

そんな中でも音楽をするしか、自分にはできませんでした。というよりも……これほどの辛い状況に追い込まれても、音楽のことを嫌いになることができないばかりか、音楽が辛い気持ちを忘れさせてくれたのです。

今でこそ、自分は音楽が大好きで一生やって生きていくんだと堂々といえますが、実は当時はそこまでの自信があったわけではありません。

それどころか、就職すること、まっとうな大人になることの逃げ道として音楽があったし、その音楽からの逃げ道として就職が残されていたのです。

「やりたいことがあっていいね」と言われることもありました。しかし自分から言えば「これしか生きてゆくすべがない」という思いで必死に音楽にしがみついていたのです。

ですから「やりたいことが見つからない」という人は、それでもまだ生きて行ける、ある意味、恵まれた人なのです。一度、どん底を体験してみると、その時に何がしたいのか、はっきり見えてくるのかもしれませんよ。

自分の運命に反撃開始

40年生きてきた中で、20代の前半は人生の「底打ち体験」でした。ここからは上がるしかありません。

音楽で生きていくんだと決めた時、自分の手持ちのコマ(資源と言い換えても良いと思いますが、自分ができること、自分が持っていること)をどのようにしてお金に換えてゆくのか……必死に考えました。

ビジネスには戦略と戦術という考え方があります。もともとは戦場で生み出された考え方ですが、これは起業する人にもよく応用されています。戦略とは方向性、戦術とは具体的な手段のことを指します(ネットを調べればたくさん出るので、僕が言うことは何もありません)。

僕は打ちひしがれていましたが、それでも借金はなく、病気も怪我もひとつなく健康で、親を頼ることもできました(仕送りをしてもらうとかそういう意味ではなく、心の支えとして)。

音楽にも就職にも失敗して未来がないように思えましたが、見方を変えれば失うものはなにもない、挑戦するには最高の条件だったのです。だって、子供も家も車も持っていて社会的な地位もある人が新事業をするのは、大変な覚悟がいるでしょう。小さく起業して、それで失敗したらまたやりなおせばいいのです。当時の僕のような状況の方がいれば、それはチャンスだということを伝えておきます。
人生でどうしても諦められないことがあるのなら、ぜひ挑戦してください。

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