無料と有料の境目はどこにある?

こんにちは! ケルト音楽専門の楽器店「ケルトの笛屋さん」を経営している、フルート奏者のhataoです。この連載では私のようなスモールビジネス経営に興味のある方に向けて、私の経験やアイデアを発信しています。

マスコミの取材は無料が当たり前?

先日、お笑い芸人「さまぁ〜ず」のお二人がテレビ東京の番組「モヤモヤさまぁ〜ず」の取材で弊社「ケルトの笛屋さん」の東京店にご来店、その模様がテレビで放送されました。おかげさまでオンエア後、お客様のご来店やお問い合わせが増え、弊社にはありがたいチャンスをいただきました。やはりテレビの影響力は未だに健在だと思わされる出来事でした。このロケは双方の金銭のやりとりはありませんでした。

一方で先月、人気漫画「孤独のグルメ」の原作者である久住昌之さんが、「複数の新聞社から取材依頼の申し込みがあったが無報酬だったので断る」、という旨のツイートを投稿し話題となりました。

マスコミの影響力が強いために、取材する側の思い込みによる正確ではない情報が発信されて迷惑をこうむったという話もよく耳にします。すでに知名度のある方であれば、取材を受けても手間ばかり増えて何も良いことがないのでお金くらいほしいという気持ちになるのかもしれません。

ユーチューバーのいわゆる「案件」のようにお金を払ってでも取り上げてほしい人と、取材をされるならその時間や専門性への報酬が欲しい人。この境目はどこにあるのでしょうか。

専門性に対してお金が発生する


自分の立場で考えてみます。私はケルトの笛の専門家で、演奏やレッスン、教材制作でお金を得ています。一方で店舗経営者でもあります。

もし街角紹介雑誌やビジネス誌で私の店舗や経営理念を取材したいと申し込まれたら、私は喜んで無料で引き受けるでしょう。なぜなら、これまでリーチできなかったお客様に、弊社や私の考え方を知ってもらえるチャンスだからです。

一方で、管楽器の専門誌から私の演奏テクニックを取材させてほしいと申し込みがあった場合、私は無償では引き受けないでしょう。私は知識や演奏技術といった専門性で仕事をしているので、ただでは提供することができません。結果的に雑誌を通じて新しいリスナーや生徒を何名か獲得できるかもしれませんが、それがNHKの朝の情報番組で100万人にリーチするとかいった絶大な影響力でなければ、いくらかでも報酬を要求するかと思います。

その差は、専門分野かどうかです。私は経営者としては泡沫ですが、演奏者としてはプライドを持って仕事をしています。専門性に対しては、金銭という形で敬意を表してほしいと思うのです。

無償奉仕を要求されると反発したくなる心理

先日、私にこんなことがありました。関東方面の出演依頼が来たのですが、担当者は私が関西在住だと知らずに依頼をしたようです。メールでやりとりを進めるうちに、交通費を支払えないので私は呼べないから、代わりに関東在住の演奏者を紹介してほしい、ただし紹介料は払えないと言われました。私は、その時点でこの件を追うのはやめて、メールの返信をしませんでした。すると、後日「早く紹介してください」と催促がありました。

私はこの担当者に少しきつめに、返信をしなかった理由を伝えました。「演奏者と担当者とを仲介することに費やす私の時間は、タダではありません。私がほかの音楽家と培った信頼関係は、タダではありません。なぜ、私があなたの会社のためにタダで奉仕をしなくてはいけないのですか?」と。

私は報酬が無ければ動かないのではありません。この会社が、ずっと一緒に仕事をしてきた長い付き合いがあれば、無償で紹介をしたでしょう。そうでないのであれば、数千円でもいいから、私の時間とスキルや人脈に対して敬意を表してほしかったのです。最初から無料で私を利用しようとする魂胆が見えたため、私は相手をするのがいやになってしまったのです。

有償か無償か。その境目は曖昧です。料金や受けるか受けないかの基準がはっきりしない自営業者であれば、相手のことを気に入れば無償でもやるし、気に入らなければ有償で引き受ける、あるいは高額をふっかける、などということもあるかもしれません。

惚れたものの弱み


もうひとつ、我ながら曖昧だなと思うことがあります。それは、こちらが頼むのか、相手から頼まれるのかの違いです。

弊社で販売している楽器を例にとります。私が、当店のある楽器の販売を促進したいので、その楽器の専門家に推薦コメントをもらいたいと考えるとします。この場合、私は礼儀としていくばくかの謝礼を提示するでしょう。しかし、私が依頼文を送ろうとした瞬間に、その専門家がとてもこの楽器を気に入っているので、もっといろんな人に弾いて欲しいからと自ら推薦文を送ってきたとします。私はそれに対して、用意していた金額を支払うでしょうか。読者ならどうしますか? 答えは保留をしておきましょう。

ここで言いたいことは、要求する側がより高いお金を払わなくてはいけないということです。

最近、私は和歌山の山奥の自分の別荘の、裏にある空き家を一軒買いました。数年間放置されており、持ち主は高齢者でもうここに戻ることはないことは決まっていました。私は、誰かに買われる前にと少し早まって、購入を申し出ました。その価格はこの物件に相応しくないものだったと思います。もし所有者の方から、手に負えないので私に引き取って欲しいと頼んできたら、私は相手の希望額の半額から交渉をスタートしたでしょう。

このような話は、恋愛における「惚れたものの弱み」に少し似ていると感じます。

ただで与えたい人と、お金を払ってスッキリする人

最後に、私の専門性と全く関係がないエピソードをお話ししましょう。

料理が趣味の私は、梅干しやお味噌を自家製しています。とても出来が良く、また大量に仕込むので、ライブやSNSで貰い手を募集して、送料も自分で負担して配っています。皆さん、とても喜んでくださいます。


よく考えると他人が作った食品を食べるというのは、信頼関係がないと恐ろしいものです。私を信頼してくださっているという証拠です。私は、この活動を豊かさの分かち合い、つまり自分と社会とのつながりを築き感謝の輪を広げるために続けています。

しかし、お金を払ってでもいいからたくさん欲しい、お金を払った方が気持ちがすっきりする、という方にも出会いました。「タダほど怖いものはない」という慣用句があるように、世の中にタダというものは無く、タダで何かをしてもらうと負い目に感じるという心理も理解できます。私は、そういう場合はありがたく金銭をいただいています。

境界線を引くところと、曖昧にするところ

ビジネスであれば、どこまでが無料で、どこからが有料だという線引きが必要です。相談や見積もりは無料、質問には無料で答えるけれどレッスンは有料、などです。一方で、国賓の前で演奏するとか母校でスピーチする、NHKで取材されるなど、自分の名誉が高まったり、宣伝効果がある場合などは無料も検討する、など曖昧にしておく部分も残すべきでしょう。

先の味噌を配る一件にしても、もし見ず知らずの人が「味噌、無料で配っているんでしょ」とありがたみもなくねだってきたら、お金をもらってもあなたにはあげませんよ、と言ってしまうかもしれません。経済は合理性ではなく、感情で動くと言います。無料か有料か、これもまた感情の問題なのです。

 

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