木曽御嶽山は長く裾を引く孤高の独立峰として信仰の対象となってきましたが、実は西側には標高1,500mほどの山並みが広がっていて、飛騨御嶽山塊というのが正しいのかと思われます。その西側の御嶽山塊から南へ、長野県木曽地方と岐阜県の飛騨南部から東濃地方を隔てる山並みを阿寺山系といいます。
山系の中央部に位置する最高峰の小秀山は2千m近く。その北には白草山があり、名湯下呂温泉からほど近いこの山は、霊峰御嶽山を間近に望む展望の山として人気があります。かく申すこの山笑も、梅雨入り前の6月初旬にこの山を歩き、阿寺山系に第一歩を記したのであります。
白草山から望む木曽御嶽山
笹原の広がる白草山。左手奥は阿寺山系最高峰の小秀山
この白草山を歩いた際の山行記をご紹介をしてもいいのですが、賞味期限が切れてしまったので、今回はちょうどひと月後の7月の頭に同じ阿寺山系の南部にある奥三界岳を歩いた際のお話をいたしましょう。こちらも魅力たっぷりのお山です。さて、どうなりますか…
中津川は山梨県?
名古屋市内から中央高速で1時間。岐阜県の東端中津川市にやって来ました。信州を隔てる恵那山の他、周囲を山に囲まれた中津川。風景といい距離感といい、神奈川県民的な感覚では山梨県に来たような感じがしました。
市街地から木曽川を渡り、R257を北上して木曽川の支流川上川の更に上流部、阿寺山系南部の山懐に位置する夕森渓谷に向かいます。先述の白草山をあるいた際、次は最高峰の小秀山に登ろうと思ったのですが、寝坊して遅出になってしまったので、もう少しアクセスし易い奥三界岳に目標転換した次第です。
ところで、「奥三界」とは意味深な山名だと思いませんか?
夕森渓谷から程近くに三界山という山が存在し、その奥に存在する山なのですが、そもそも三界とは、「三界六道」といわれる仏教の世界観。解脱し煩悩から解放される以前の人が住む次の3つの世界です。
欲界…欲望に苦しむ者が苦しむ世界。一般ピーポーの世界
色界…欲望を超越するも色=物質という概念にとらわれる者が存在する世界
無色界…物欲も形も超越した精神修行者の世界
このうち9割9部9厘の人が欲界の住人であり、色界、無色界は通称「天界」とも呼ばれる高度な修行者の世界なのです。ちなみに六道とは人の善悪の所業によって住み分ける6つの世界(天上、人間、修羅、畜生、餓鬼、地獄)です。
例えば、常に神仏に対する崇拝を忘れず、日常節制を旨とする山笑。その発言からどの世界に属するか見てみましょう。
その1 あの女の子、人妻なんだって。
え!奥さんかい? ⇒欲界
その2 「奥さん会」ってどんな会?なんか艶っぽいね( ̄▽ ̄) ⇒⇒完全に地獄道、餓鬼道、畜生道の発言です。
…山笑、とんだ俗物でした(笑)
さて、話は戻りまして、夕森渓谷を含む阿寺山系の西側=岐阜県側は、長野県木曽地方とは山を挟んで反対側に位置し、「裏木曽」などと呼ばれています。木曽地方同様、古くからヒノキの植林が行われ、江戸時代は尾張徳川家の厳しい管理下にありました。渓谷の入り口では、かつて伐採された木材を搬出していた森林軌道の車両が出迎えてくれました。
夕森渓谷から始まる三界への道
夕森渓谷キャンプ場の駐車場がこの山行の起点です。川上林道を歩き出す前にキャンプ場の前を流れる川上川にある龍神の滝に寄っていきます。明け方までかなり雨が降りましたので、川上川は水量マシマシ。遊歩道から見下ろす龍神の滝は轟々と渦を巻いて恐ろしさを感じるほどでした。「出でよ!神龍」
その昔、夕森の大木を切り出してひと儲けしようと企む悪党がいたそうです。伐採した木を流すために川に投げ入れたところ、この滝に住む龍神が怒り、天に昇って大雨を降らせました。大雨は七日七晩続き、付近の村や畑はことごとく流されてしまったそうです。以来、村の人々は龍神を鎮めるため、龍神を祭り、毎年4月に太鼓を奉納するそうです。
川上川上流の流れが形成する夕森渓谷。裏木曽と関係があるのか、夕方の森と関係があるのか、「くらがり渓谷」とも呼ばれています。闇ネタ好きなワタクシにとって良い響きですが、川上林道は陽当たり良く、山の緑と沢のブルーに親しみながら、いたって健康的に歩いていくことになります。
また、渓谷内には複数の滝があり、キャンプに訪れた際に散策したり、秋の紅葉の季節には訪れる人も多いようです。そこかしこから小沢が渓谷に流れ込みとても涼し気でした。
忘鱗の滝
前述の龍神の滝に住む龍が天に昇る際、山肌にぶつかって鱗を落とした言い伝えがあります。
銅穴の滝(奧)
落差17m。飛沫は林道まで達していました。かつて、付近には銅の鉱脈があり、採掘の際に湧出したとも、「銅光」と書いて銅の鉱脈が光ったという説もあります。
アゼ滝
林道から外れた散策路を歩きます。この滝を観瀑するためには梯子がついた急斜面の下降が必要です。その分、迫力満点。今回のように流れマシマシの時は、飛沫で全身びしょ濡れになります。
一ツ滝は…通行止でした(笑)吊り橋から徒歩15分だそうです。
渓谷の散策路から奧三界岳登山道へ
さて、奥三界岳へのルートは、川上林道と分かれて夕森渓谷本谷を渡りますが…
「この橋渡るべからず」
導入部の本谷に架かる吊り橋が破損して通行止めになっていました。さて、神の君どうする?
…ポクポクポクポクポク…チーン♪
渡渉敢行!ち、ちめたい…
奧三界岳への登山道は、本谷右岸の滝見ルート(アゼ滝と一ツ滝)と分かれて、南斜面の九十九折りを急登していきます。
広葉樹の自然林とヒノキやヒバなど植林が混じる森です。
所々、オブジェのような大樹の切り株が目立ちます。山向こうの木曽地方は特産のヒノキが全国的に有名ですが、裏木曽の森も江戸時代からヒノキの産出が行われてきました。これら木材は、城下町名古屋はおろか江戸の町の家屋の材料になり、更に太平洋戦争末期の空襲で焦土と化した名古屋の復興に役立っていたんでしょう。
南斜面の上部は薄暗い植林帯と笹原が広がっています。笹原の中に点在する切り株にドッキリ。これら大樹たちはいつ頃伐採されたのだろう…今はどこぞの邸宅の梁柱になっているのでしょうか…
日陰の森に舞うヤマキマダラヒカゲ
再び奥山の林道歩き
三界山から夕森山の山腹を通じる丸野林道に出合いました。この地点で既に標高1200mですので、深山の雰囲気たっぷりです♬花は少な目ですが、コアジサイや山アジサイがチラホラと咲いていました。
川上川本谷の西に位置する三界山と東に位置する夕森山。奧三界岳は、その両山の暗部を流れる本谷源流部に位置しています。この奥山へのアクセスには丸野林道が欠かせません。
沢音に混じってチェーンソーの音が聞こえてきました。この奥山で林業の方が作業中でした。車のナンバーはゲジゲジ…もとい、滋賀ナンバー。林業の担い手って意外と少ないのかもしれません。
夕森山の左手に昇龍の滝が見えてきました。
野鳥の鳴き声に耳をすませば…オオルリ、ムシクイ、ウグイス、コマドリなどの鳴き声が聞こえていました。その中で、オオルリはオス、メス、幼鳥まで登場したので、特に多いのかもしれません。オオルリは山地の沢沿いに生息する夏鳥です。彼らにとって夕森渓谷や本谷上流は居心地の良い環境なのでしょう。
オオルリのお父ちゃん
オオルリのお母ちゃん
オオルリのお子さん
夕森山方面に延びる丸野林道と奥三界岳登山道の分岐点。登山道に入る前に林道を少し進んだ所にある川上川本谷源流の昇龍の滝は見逃せません。
昇龍の滝
先述の龍神伝説に話が戻りますが、龍神の滝から出現した荒ぶる龍神は、山腹に体をぶつけながら(忘鱗の滝)、ここから天に昇って行ったといわれています。
涼しい滝を見上げながらワタクシも昇龍拳!…ではなく、小休止。ご当地名産の朴葉餅をいただきます。ホオの葉に巻かれたお餅は、ほのかに葉っぱの香りがして爽やかでした。
奧三界岳の山頂はもう少し先ですが、長くなってしまいましたので、ここまでを前編「夕森渓谷編」とさせてください。
今回もご笑覧いただきましてありがとうございました。