韓国を5年ぶりの訪問、韓国語で音楽活動する夢を叶える

こんにちは! ケルトの笛奏者で、ケルト音楽専門の楽器店「ケルトの笛屋さん」を経営しているhataoです。この連載では、スモールビジネスを営む私が起業やビジネスについてアイデアと経験をみなさんとシェアします。

今、韓国のソウルに来ています。1週間の滞在でレッスンが3つとコンサートが2つ、リハーサルという過密スケジュールです。今回は5年ぶりの来訪となるため、これまでの韓国との関わりや挫折、そして韓国語でレッスンをするという目標達成までを2回の連載にまとめます。

韓国に初めて行った時のこと

初めて韓国を訪問したのは15年くらい前だったかと思います。インターネットを通じて知り合った韓国人のアイルランド音楽愛好家を訪ねにソウルに行きました。ソウルの街並みは日本とそっくり、歩いている人の顔や服装もそっくり。物価もほぼ同じで日本円に0をひとつ足しただけ。それなのに文字が違い、看板が何ひとつ理解できない。日本とは距離的に近く福岡などの日本の地方都市に来たような感覚なのに、言葉が違い「不思議の国」に来たような印象でした。

彼を通じて韓国人と知り合うと、話し方、表情やしぐさ、考え方など日本人ととても近く感じました。私はその頃すでに台湾、中国、マレーシア、タイなど様々な国を訪れて友人もいましたが、世界で最も近い国は韓国であると確信しました。その印象は、韓国と交流が長い今でも変わっていません。

韓国のアイルランド音楽事情

日本には世界のあらゆる音楽を愛好する人が幅広く存在しています。どんな国の音楽でも日本人で演奏していないジャンルはないのではないかと思うほどです。その点、例えば中国や台湾ではそういった愛好家は少なく、音楽の選択肢は少ないです。その点において韓国人は日本人と同じくらい海外への好奇心が旺盛で、当然アイルランド音楽の愛好家もいます。

私はYouTubeが一般に広まった頃からアジアのアイランド音楽事情を知りたくて、それぞれの言語で検索することがあったのですが、韓国人の演奏をよく見つけることがあり、大袈裟ですが地球でない惑星に人類の文明を見つけたときのような感動を覚えました。いつか、この人たちと出会って一緒に音楽を奏でたい、そう思ったのです。

後で知ったのですが、韓国ではテレビドラマや映画のOST(劇伴)でアイルランドの笛「ティン・ホイッスル」がしばしば使われており、アイルランド風の音楽が認知されているそうです。またK POPの伴奏で使われることもあります。韓国人はやさしく美しい音楽が好きで、アイルランド音楽の持つ雰囲気はとても似合うそうです。

韓国での音楽活動

初めてソウルを訪れてから韓国で音楽活動を始めるまではそうかかりませんでした。2011年に始めた音楽ユニットhatao&namiで最初のCDを発売して、それを携えてソウルでコンサートをしました。当時韓国で人気のあったアイリッシュ・ユニット Bard 바드(現在は解散)とのコラボです。Bardは男女2人のユニットで、二人とも素晴らしい歌手であり、複数の楽器を演奏します。アイルランドの伝統曲も演奏しますが、自作のポップス風の作品をアイルランド音楽風のアレンジで歌うのが、またユニークで素晴らしいのです。このコンサートは年を経て2回開催しましたが、回を重ねるごとに多くの友人と知り合うことができました。

そんな中で知り合ったのが韓国人フルート奏者でティンホイッスルの指導もしているDさんです。彼は市内にフルート、オカリナ、パンフルートを習うことができる音楽スタジオを経営しており、大学のフルート科教授やオーケストラのフルート奏者を務める、国際的に活躍している音楽家です。Dさんはアイルランド伝統音楽の演奏家ではありませんが、クラシック音楽とは異なるフォーク音楽の楽しみを広めることに情熱を持っており、私が韓国に来るたびにティンホイッスルの講師として講座を依頼してくれます。今回の三回の講座も、すべてDさんのスタジオで主催されました。

韓国語の短期語学留学

私は英語が得意なので当初韓国の方々とは英語で会話していましたが、音楽講座を英語で行うとDさんに逐次通訳をしていただく必要があり、もどかしさを感じていました。こちらの友人たちとも韓国語で会話ができたほうがより親密に話せると思い、2018年に韓国語学習を始めました。

漢字を使用する中国語とは異なり、ハングルを理解するのに苦労しましたが、文法は私が話せる英語と中国語よりも日本語に近く、語彙も非常に似ていることがわかり、上達のスピードは速かったかと思います。

その翌年2018年2月、まだ初級レベルの段階で韓国の延世(ヨンセ)大学に1か月の語学留学をしました。今思えばハングルを読むのもおぼつかない程度で韓国生活をするのは無謀だったと思いますが、一度韓国で生活してみたいという気持ちが早まりました。留学したての頃はカフェでの注文すらできないレベルでしたが、1ヶ月毎日韓国語漬けで強制的に勉強しなくてはいけない環境に身を置くと、さすがに嫌でも上達するものだと思いました。大人の語学留学については、また改めて書くことにします。

コロナ禍、そして目標達成まで

留学後、2019年には2度韓国を訪れ、ティンホイッスル講座を開催しました。その頃はすでに京都の楽器店を経営していたので、韓国でも楽器や出版ビジネスを行いたいと考えて、翻訳者に依頼してティンホイッスルの韓国語版教材を出版、韓国での音楽活動とビジネスが順調に進んでいると思っていた矢先、2020年のコロナ禍が始まってしまいました。それから様々な事情があり、5年間韓国を訪れることはありませんでした。

その間も韓国語学習は継続していました。日本には韓国語を使う機会が全くないため、モチベーションを維持するのが難しく、やったりやらなかったりでしたが、その間にハングル検定を3級まで合格し、いつか訪韓する日を目標にしていました。

今回、ソウルでコンサートとティンホイッスル講座を完全に韓国語だけで行うことができ、5年越しの夢を実現することができました。まだまだ語彙や文法の不足を感じていますが、願い行動すれば叶うという自信につながりました。

こちらは日韓4人ずつの合同アンサンブルによるソウルでのコンサートの模様です。

語学は、始めたらあとは伸びるだけです。旅行をするたびに新しい単語や表現を覚えていくからです。それを10年継続できれば、才能がなくても習得できるはず。それなら、残りの人生であといくつの言語を学べるでしょう?

次回は、韓国での音楽ビジネスの経験について書きたいと思っています。

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