世界遺産に暮らす ― 移住先の本宮大社で奉納演奏

こんにちは、ケルトの笛演奏家、楽器店経営者のhataoです。私は昨年、世界遺産「熊野古道」の拠点である和歌山県南部の田辺市本宮町に移住しました。

熊野は紀伊半島の南部である奈良県南部、和歌山県南部、三重県南部の三県にわたる広大な地域です。熊野の各地を結ぶ古道は中世の巡礼道で、平安時代から現代まで人々は「熊野三山」と呼ばれる那智、新宮、本宮の三つの神社を目指して山道を歩きました。

観光ツアーでは必ず訪れる古道ですが、地域の人々にとっては身近な存在で、私が暮らしている山奥の限界集落の山の上には有名なコース「赤城越え」があります。私はそんな山奥に4軒の中古物件を所有し、音楽室や木工室、貸別荘など様々な目的に改修して生活しています。

熊野との出会い

北海道出身の私は、もともと本宮町に縁もゆかりもありませんでした。10年以上前に私が神戸で主催していた音楽イベントに参加した方が和歌山県南部の出身で、また当時の生徒さんも奈良県南部の出身だったため、二人が私の熊野でのコンサート・ツアーを企画してくれたのが最初の出会いでした。熊野は空、海、山、滝、星などの自然が素晴らしく、他の田舎にはない神秘的な雰囲気にも魅了され、私はその後たびたび熊野を訪れることとなりました。

私は若い頃から自分の理想の暮らしを実現できる場所がほしいと思っていたのですが、その願いはやがて熊野に住むことだという確信に変わっていきました。そんなおり知人がこの家と土地を売りたいとFacebookに記事を書いたのを見て、迷わず購入を決断しました。2018年のことです。当時は車を持っていなかったので年に数回レンタカーで通って熊野観光の拠点とする程度でしたが、コロナ禍が始まった2020年以降は兵庫県の家との二拠点生活を始め、改修工事が本格的に進みました。住むほどにこの土地に愛着が湧き、集落の他の空き家や土地を購入していきました。

2023年、移住を決意

2023年、3軒目の住宅を購入しリノベーションをする際に、地元の方に移住者のための補助制度があることを教えてもらいました。住民票の転入が条件で、改修費用の補助や残置物(ごみ)の処分費が支給されます。改修費用の予算がなかったわけではありませんが、ゆくゆくはこちらに拠点を移したいと思っていたこともあり、覚悟を決めて本宮町に転入をしました。
先立って21年には、それまで個人事業として営んでいた楽器店ビジネスを法人化するにあたり会社の住所を本宮町で登記していたので、先に本宮町の会社が誕生し、後から私が転入した形です。これで会社と経営者の住所が同じになりました。

本宮町での暮らし

コロナ禍が始まった当初、地方移住が注目されちょっとしたブームになりました。しかしその後、移住者と地元住民との軋轢や、移住先の地域に馴染めないなどの問題が報じられるようになり、都会へ戻った人も多かったようです。田舎に暮らすと、その土地の伝統や風習といった文化・精神的なことから自治会や消防団、草刈り当番など実際的なことまで、多くのことに適応しなくてはなりません。狭い人間関係のしがらみも多いと聞きます。

私は旅が多いため家を留守にしがちで、多忙なため地域の責任を負うことは難しく、移住することに多少の心配はありました。しかし移住してみると想像以上に気楽で、まったくストレスなく暮らせています。

理由のひとつは私が住んでいる場所があまりに奥深くで、かつての住民はほとんどいなくなってしまい、コミュニティが成立しにくいことがあるでしょう。もうひとつ最近気がついたことは、この地域は古来多くの旅人が訪れる土地で、よそものを歓迎する気風があるのではないかということです。また地元の知り合いの多くは青年期に仕事を求めて大阪などの都市圏に行き、退職後に本宮町に戻ってきた経験を持っています。そのためか、本宮町の方々は異なる種類の人間も受け入れる心の広さがあるように感じます。

本宮大社での奉納演奏

2022年のコロナ禍で演奏の機会が少なくなった頃、私は音楽仲間を呼んで熊野の自宅から配信ライブを行いました。ここではどんなに大きな音を出しても苦情が来ないし、街頭や民家の明かりがないので真っ暗な闇夜にプロジェクションマッピングの演出もできます。翌年にはマスクや集会のルールが緩和され、地元の方にも声をかけて大勢の方々が見に来てくださいました。

ところで、私の住む本宮町の神社「熊野本宮大社」はこの地域の文化・宗教的な中心地で、多くの観光客や巡礼者を集めています。私は熱心な信仰者ではありませんが、このような気持ちの良い場所が町内にあるというのは、私の精神的な支えにもなっています。そんな本宮大社でいつか奉納演奏がしたいと、ここに集まった仲間と話し合っていました。

そんなおり、今年の自宅でのコンサートに来場くださった方が本宮大社の観光拠点「熊野本宮館」の館長をされており、奉納演奏の話がとんとん拍子に進みました。ちょうど今年2024年は熊野古道が世界遺産に指定されて20年、また、私の住む田辺市と同じく巡礼道が世界遺産として認定されたスペイン・ガリシア州のサンティアゴ・コンポステーラ市との観光交流協定の締結10周年ということで、その行事の一環として、旧社殿があった大斎原(おおゆのはら)にて9月15日にコンサートをさせていただけることとなりました。

熊野とケルトをつなぐ「道」

私が演奏している音楽はヨーロッパの伝統音楽、中でもアイルランドやスコットランドなどケルト系の言語が話されている地域の音楽です。ケルト語は他にスペインのガリシアでも話されており、実は熊野とケルトには縁があるのです。私がそのことを知ったのは、つい最近のことです。私はただこの場所が好きで移住しただけだと思っていたのですが、このようなつながりがあるのは不思議な偶然です。

そのことから、奉納演奏のタイトルを『熊野とケルトをつなぐ「道」』と名づけました。道によって人々が結ばれ、文化や精神が伝えられたことをテーマとしたのです。もちろん、私たちケルト音楽演奏家と熊野とのつながりも示唆しています。メンバーの高野陽子さんはガリシアの巡礼道を実際に歩き、ガリシアの民謡を現地語で歌います。プログラムは、熊野にインスピレーションを受けてできた私のオリジナル曲とガリシアの歌で構成しました。宣伝から椅子並べまで地域の方にたくさんご協力いただき、当日は100人を超える方が立ち会ってくださいました。心配されていた雨は降らず、厳かな雰囲気の中1時間の演奏を無事に終えることができました。

自分にできることで地域に貢献したい

熊野大社での奉納演奏は、音楽家であれば誰でもお願いすればできるようなものではありません。このコンサートを経て、私は音楽家としてひとつのステップを上がった節目になったと感じました。またそれは同時に、私がこの町に正式に受け入れられた証だと受け止めています。

私は今なお行ったり来たりの暮らしで根を張って生活しているとは言えませんが、私なりにこの町のためにできることを、事業や文化活動を通じて貢献していきたいという思いを新たにしました。奉納演奏を実現してくださった地元の皆様、音楽仲間やスタッフの皆様に改めて感謝しています。

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