「触らない楽器」への愛着とは? #77

先週、まあまあショッキングな事実に気づいたので、そのことを書いてみようと思います。

私は同じテルミンを2つ持っていて、ひとつは家に置きっぱなし、もうひとつは持ち出し用としてスーツケースに入れています。

教室やライブのときはそのスーツケースを持って出かけるのです。

どちらも体の一部のような、空気のような存在と言ってもいいかもしれません。

楽器への愛着って、一体なんだろう?

と考えてしまう出来事がありました。いえ、特に出来事はなかったんですが、

いつものようにスタジオに到着して、テルミンを組み立て、そこに生徒さんがやってくるまでの5分くらいの間にふと気が付いたんです。

MOOG 50周年のロゴ、めっちゃ剥げてる!!

知ってました、剥げてることは。もう何年も。

TVの収録で、企業のロゴを隠すためにADさんが黒ガムテを貼って、収録後にはがしたらこうなりました。笑

でも別に何とも思っていなかったんです。バンドマンの楽器ケースに、ライブハウスのパスがたくさん貼ってあるのと同じ、この剥げもその日の思い出。

家に置きっぱなしのテルミンには無くて、持ち出し用テルミンにだけ付いているこのエンブレム。購入した年がたまたま50周年だったので、想定外に付いてきて、実ははずそうと試みたくらい、特に思い入れがなかったのです。

でも、その日ふと、急に、「この無頓着な感じはあまり美しくないんじゃないか?」

そんな当然といえば当然のことに、急に気づいたのでした。

今まで、空気のような存在すぎて、知っていたけれども、ちゃんと見ていなかったんだと思います。

それって、もしかして「触らない」から??

そんな疑問がふつふつと湧いてきました。

テルミンには楽器の「手触り」がない

例えば、バイオリンを弾いていたときは、左の肩と頬で楽器を挟み、自分の楽器には慣れ親しんだ手触りがあります。

それがテルミンにはない。

さらに、バイオリンは自分が発した音を、耳元で、自分が一番近くで感じることができるわけですが、テルミンは電子楽器ですから、スピーカーからしか音がしません。

時と場合によっては、お客さんにはよく聞こえるけど、自分には聞こえづらいということも。

でも、大事な大事な楽器には変わりないはず。人のテルミンよりも自分のテルミンで弾きたいという気持ちも、もちろんある。

触らないけれども、いつも鏡のように楽器と向かい合い、もっとこんな風に弾きたい!もっとうまくなりたい!と思っている。自分の手の感覚と、耳を澄まして音に没入している状態。つまり、その時は楽器を見ていない。

どうやら、楽器の「外見」という概念が無かったみたい。

じゃあ、これは?

机にあるお気に入りの時計。

もしも、この絵柄が、何の絵柄だかわからないくらいに、半分剥げていたら?

時間を知ることは出来るけれども、それじゃあまりにも残念すぎます。

謎は解けたっ!!

鑑賞してるってことですね、これは。

全力でテルミンを弾くとき、一切楽器を鑑賞していない。

まあ当然なんだけれども、演奏を聴く人はそうではないですね。

演奏と併せて、楽器を鑑賞しているはず。

そんなことを考えていきたいなと思っています。

 

 

 

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