ただでは転ばぬ中津川

恵那山に登ろうと…

名古屋から高速で1時間の岐阜県中津川市。4月に名古屋に赴任して以降、すっかりおなじみの土地になりつつありますが、お盆も明けた8月の末、岐阜、長野県境の名峰恵那山に登ろうと市内の登山口にやってきました。

ICからR363を経て中津川市の東部川上地区へ。中津川上流に延びる恵那林道の黒井沢登山口に向かいますが、何か様子がおかしい…災害による通行止でしたorz ならば恵那山神社からのクラシックルートはどうかと神社まで行ったところ…これまた通行止orz

このショックですっかり山に登る気はすっ飛んでしまいました。中津川から木曽にかけて観光を楽しむことにしました。

先ずはせっかく来たので恵那山神社に参拝。恵那山をご神体とする神社ですが、そもそも、我が国の創造神である伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)夫婦がこの山を越える際、天照大神が誕生したそうですが、その際に胞衣(えな)と呼ばれる胎盤やへその緒を祀ったのが起源といわれています。もうお分かりと思いますが、胞衣⇒恵那山となったわけです。本殿前の見事な夫婦杉は一見の価値ありです。

恵那山神社の恵那林道ゲート前にあるウェストン公園。我が国にレジャー、スポーツとしての登山を紹介し、飛騨・木曽・赤石山脈を「日本アルプス」と命名した英国人宣教師ウォルター・ウェストン。明治26年にウェストンは恵那山神社からの修験道を歩いて恵那山に登頂したそうです。ヤマジノホトトギスがささやかに咲いていました。

天空の城ラ…苗木城

恵那山神社から市街地に戻って、今度はR257を北上、木曽川対岸の苗木城址にやってきました。苗木城は木曽川右岸の段丘上にそびえる高森山山頂付近に築城された山城。室町時代前期に当地の地頭遠山氏によって築城されてから明治維新まで、戦国時代に武田や織田など大国の攻防にもまれて一時的に城主が変わったものの、数百年に渡り遠山氏の居城でした。

今は石垣と高森山の巨岩のみが残り、「天空の城」とか「日本のマチュピチュ」などと呼ばれ、歴史愛好家や城跡マニアの間ではおなじみの城ですが、「赤壁城」という伝説に由来する別名は意外と知られていません。

かつて、苗木城は山の緑と天空の青に白壁が映える城でした。ところがある日、一夜にして白壁が全てはがれて土壁を晒していたそうです。それ以降、何度白壁を塗り直しても一夜にして土壁となってしまうため、人々はこの城を赤壁城と呼んだそうです。ある日、不思議に思った城主が寝ずに見張っていたところ、眼下を流れる木曽川から白竜が出現し、苗木城に息を吹きかけると、たちまち白壁が剥げてしまったそうです。

そんな伝説が残る苗木城ですが、実情は僅か1万石の小大名遠山氏がこれだけの規模の城を維持することは財政上難しく、白壁を塗る費用も捻出できなかったんでしょうね(笑)

苗木城の天守台に登ると木曽川の渓谷⇒恵那峡の渓谷口を見下ろし、その先には鳶岩巣山が端正な姿を見せていました。木曽川の対岸にはこの日登れなかった恵那山が良く見えて何とも恨めしい。北に目をやると木曽御嶽山が見えていました。

木曽川の畔から苗木城を眺めてみようと高森山の東側に架かる玉蔵大橋にやってきました。

やっぱり山城は見上げる姿が良いですね。木曽川を見下ろすと…おや?随分低い位置に鉄道橋が目につきました。橋のたもとで砂利を採取しているようなので、運搬用の軌道なのかとその時は思っていましたが、後々調べるとかつて中津川駅と北の付知町を結んでいた「恵那電」こと北恵那鉄道の橋梁だそうです。それにしても真夏の真昼間、橋の上でウロウロしているおじさん。行き交う車からは怪訝な視線を向けられます(笑)別にジャンプ志願者ではございませんよ!

鉄分補給

さて、この橋のたもとから木曽川右岸沿いに長野県南木曽町田立まで通じている岐阜・長野県道6号(中津川田立線)を走ります。ほとんどの区間が1車線の隘路で、落石要注意!木曽方面に向かうためなら国道19号線を走る方が断然走りやすいのですが、木曽川の水面が近いことと中央線に沿って通じている魅力ある道です。

先ずは中津川からひとつ下った落合川駅へ立ち寄りました。目の前には木曽川を堰き止めた落合ダムの青々とした湖面が涼しげです。この駅にほど近い場所で鉄分補給をします。天下の大動脈中央本線も中津川から先は地方ローカル線のダイヤです。木陰に車を停めてのんびり電車を待ちました…蚊に刺されましたけど(笑)

ちなみにこの辺りの木曽川沿いには「乙姫」とか「浦島」という地名がありますが、木曽川浦島太郎伝説に由来するのでしょうか。更に木曽川を遡行した長野県上松町には、寝覚ノ床という観光地があります。浦島太郎が竜宮城から持ち帰った玉手箱を開けてしまった場所と伝わります。

更に北上して、中央線が大きくループしている場所。ループの内側に色づいた稲穂と木曽川対岸に賤母山、その稜線の先に中央アルプスの南木曽岳の組み合わせが素敵な鉄道風景です。そこにサルスベリの赤い花も色を添えてくれました。こういう風景には短編成の鈍行列車よりも長編成の特急列車が良く似合う…特急「しなの」が快走していきました♬

旧坂下町市街地の手前に握観音のお堂があります。このお堂の横には握観音石仏群があります。庚申塔やら念仏塔、馬頭観音が多いですが、昔から人の往来があった道なのでしょう。石塔の中で役行者の石像は異質でした。頃は晩夏、キツネノカミソリの花が咲いていました。

坂下の市街地から更に北上して、長野県との県境の手前に素敵な鉄分補給ポイントがありました。蛇行する木曽川を貫く中央線。木曽川の手前側右岸から一度左岸に渡った線路が再び右岸に渡り返します。1度に2回美味しいポイントです(笑)

おや?遠雷がいよいよ近づいてきて、対岸の山並みが雨柱で霞むようになってきました。いよいよ夕立のお出ましです。

激しい雷雨の後、夜は木曽まで北上して車中泊しましたが、夕食は国道19号線沿いのキッチンくらんぼでチキンソテー定食をいただきました。チキンは香ばしく、生野菜にかかったとうもろこしドレッシングは美味しかったです。

今回もご笑覧いただきまして、ありがとうございました。

□ ANOTHER STORY

Arai Sayaka

松岡誠一(仏像文化財修復工房)

SHINGO KURONO

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