溶岩大地には魅力がいっぱい【東濃・南飛の旅 後編】

前回からの続きは、木曾御嶽山の西麓を流れ落ちる濁河川。その中流にある下島温泉の朝です。

下島温泉の朝

宿泊した朝六荘(R5.11.30惜しまれつつ閉業)のすぐ近くに溶岩らしき巨岩と鳥居があります。今から約5万4千年前という太古の昔、御嶽山が大噴火した際、兵衛谷に押し出した溶岩流の先端が下島温泉付近まで押し寄せたそうです。その先端部は御嶽山小坂登拝道の登山口。それを示す一ノ鳥居が設置されています。まあ、今となっては、道も不明瞭な小坂口から御嶽山に登る人はほとんどいないでしょうけどね。

この日は、下島温泉を起点に濁河川支流の椹谷沿いの遊歩道を歩いて滝見を楽しんだ後、溶岩台地に上がり、更に落合椹谷林道を歩いて濁河川上流にある名瀑根尾滝を目指します。でも、その前にちょっと見たいものが…

朝六荘の対岸にあるひめしゃがの湯は休業中(R6復活予定)ですが、その駐車場にかつて御嶽山麓で伐採した木材を高山本線飛騨小坂駅まで運搬していた小坂森林鉄道(林鉄)の気動車が保存されています。ちょっと見て行こうと立ち寄ったところ…おや?人が集まっています。聞けば休日の朝、気動車の復元に従事する小坂森林鉄道研究会の方々でした。奇遇にもX(Twitter)でチェックしていた中の人にも出会えました。森林軌道の遺構について写真を交えながら丁寧に、あっ!と驚くような見どころも惜しみなくご教授くださいました。新たなる野心が芽生えました( ̄― ̄)ニヤリ

溶岩台地の下から上へ

下島温泉から15分ほど歩いた濁河川と椹谷の出合いに柱状節理の大岩壁が出現します。先述の御嶽山噴火の後、押し出した溶岩流が冷え固まって形成された高さ70m、幅120mの大岩壁巌立です。巌立峡を訪れた岐阜県知事は、その壮大さに「緑のグランドキャニオン」と呼んだそうです。ちなみに「岐阜のグランドキャニオン」と呼ばれる場所は、川辺町の遠見山から見下ろす飛騨川の景色だそうです。この辺の呼び分けは知事さんも気を遣いそうですね(笑)

巌立公園付近で林鉄椹谷線の遺構を確認してから出発。戻りが暗くなったらチェックできませんからね(笑)遺構は林道右手の斜面を少し上がった位置を並行して通じていました。

椹谷の巌立峡滝見遊歩道。紅葉にはまだ早いようでしたが、スポット的にチラホラと。水清らかな椹谷の流れと柱状節理を楽しみながら遡行していくと、先ず三ツ滝が迎えてくれます。散策路は更に沢沿いに延びて、唐谷滝とあかがねとよの2瀑が見どころのようですが、本流濁河川の上流にある日本100名瀑の根尾滝を観たかったので、先ずは椹谷を離れて溶岩台地に上がります。

「原八丁」と呼ばれる溶岩台地は、濁河川と椹谷の間、長さ2㎞、幅100mの細長い地形で、ナラなど落葉広葉樹とカラマツなど針葉樹、それらの根元に笹が繁茂する豊かな自然林です。台地上をしばらく進むと湿原状の小広い地形に池がある中崎台湿原、通称「どんびき平」に出ました。「どんびき」とは一般的に言う「ドン引き」ではなく、カエルのことだそうです。溶岩台地の上にぽっかり空いた貴重な水辺。早春、アカガエルやヒキガエルが水辺に集まって、蛙合戦と呼ばれる集団産卵が見られることからついた地名だそうです。

根尾滝?見たかもしれません。夢かもしれません

どんびき平から北に方向転換して、笹が繁茂する森の中を通じる林道?を歩き、更に落合椹谷林道に出合います。林道はかつて通じていた林鉄濁河線と並行するか一部は軌道を利用しているようです。谷側に転落防止の杭が打ってありましたが、よく見れば林鉄のレールです。これがホントのガードレールだね(笑)    

しばらく進むと左手に林道の支線が分岐しています。少し進むと濁河川の渓谷を見下ろす広々とした場所に出ました。林鉄濁河線の倉ヶ平停車場があった場所です。濁河線は椹谷から倉ヶ平までの下部線と対岸の岳見台から濁河温泉付近までの上部線に分かれますが、上下線を隔てる濁河川には架橋せず、索道で結んでいたそうです。「索道」とは、空中に渡したロープにゴンドラなど器具を懸垂して、人や物資を輸送する鉄道形態のひとつ。簡単に言えばロープウェーです。先述の林鉄研究会の方たちが教えてくれた索道施設の跡に立ち寄りました。

さて、この後、再び林道に戻って根尾滝に向かうのですが、災害により濁河川に架かる吊り橋が落ち、根尾滝遊歩道も一部崩落していることから、公式的には通行止となっています。従いまして、今宵はここまでにいたしとうございます。が、滝だけでもチラ見ってことで(笑)

夕暮れ時、椹谷まで戻ってきましたので、後回しにしていた唐谷滝とあかがねとよをご紹介します。唐谷滝は椹谷本流にあるため水量も多く、柱状節理の渓谷と相まってなかなかの見ごたえです。一方あかがねとよですが、「あかがね」とは銅を意味し「とよ」は雨樋を意味します。こちらは流れが無かったのですが、流れ落ちにはエメラルドブルーの水が溜まっていて、イワナやアマゴの姿がありました。

ちょっとだけよ1【御前山山行】

実はもう1泊、車中泊して、3日目に下呂北部萩原を起点に御前山という山を歩いてきました。実に素敵な山でしたので、ダイジェスト版でお伝えいたします。

JR高山本線飛騨萩原駅裏手の住宅地から広域基幹林道に入り桜洞の登山口へ。更に支線林道に乗り入れようとしましたが、落石、倒木、路面陥没でバック!バック!

車で入れなかった林道支線を終点まで歩いて、沢沿いに続く登山道に入ります。

突如目の前にそびえたつ屏風岩。奥秩父の瑞牆山にある大やすり岩を彷彿とする姿です。

普通の山では沢の源頭部は切り立った渓谷になりますので、登山ルートは尾根上に上がるのが一般的ですが、御前山は山頂付近の稜線まで沢沿いを直登します。この山は里から山頂が見えない隠れ山。懐深い穏やかな山容なんでしょうね。

稜線に上がると雨交じりのガスに包まれました。おまけに風が強い。

山頂付近には巨岩が目立っています。山頂からは御嶽山が真正面に大きく、また、白山を遥拝できる山として知られていますが…マッチロケ…orz

山頂には「御前観音」と呼ばれる十一面観音様が鎮座しています。一般的に地元では雨乞い祈願、御嶽山遥拝のために安置されたと言われますが、織田信長が岐阜城の鬼門封じのために安置したという説もあります。

下山は尾根筋の上村ルートにしました。このルートは古くからの登拝道だったようで、合目毎に観音様の石仏が安置されています。

東側斜面はカラマツの紅葉が見頃でした。枝先に渡ってきたツグミさんの姿も。

中段の落葉広葉樹の森も紅葉がなかなかでした。高山鳥のカヤクグリの姿を見かけましたが、夏季は御嶽山など標高の高い環境で暮らし、秋から春にかけて山麓や低山に移動して暮らす国内渡り鳥です。チミ、贅沢な生活しているね。 

上村ルートが広域幹線林道に出合ったら、林道を歩いて桜洞の駐車場に戻ります。

ちょっとだけよ2【加子母歌舞伎】

飛騨からの帰り道。この日(10月29日)は、加子母歌舞伎の上演の日でした。

演目は3つあり、2つ目の演目が始まるタイミングで明治座に到着したので、立ち見になってしまいましたが、2つ目から3つ目の間で人の出入りが結構ありましたので、2階席の良いポジションから観劇を楽しむことができました。

演目は「平家女護島」。平家物語の有名な「俊寛」の話を江戸時代、近松門左衛門がアレンジした人形浄瑠璃の作品です。

後白河院の近臣丹波少将藤原成経、検非違使平康頼、俊寛僧都の3人は、鹿ヶ谷事件で平家打倒の密談をするも密告により捕縛され、薩摩の南に浮かぶ絶海の孤島鬼界ヶ島(喜界島)に遠島となります。都に帰還することを夢見て暮らすこと幾年月。そんなある日、平清盛の娘で高倉帝の妃となっていた建礼門院が懐妊したことの恩赦により、都より迎えの使者瀬尾太郎が到着します。

しかし、清盛は前者2人を許しますが、俊寛は許すつもりはありませんでした。(ここまでは史実?のお話)が、もう一人の使者丹左衛門尉が清盛の子重盛が認めた俊寛赦免の書状を示します。よかった。よかった。

お芝居の脚本なので史実にはない異聞的な見せ場もあります(笑)

ところがここで問題がひとつ。藤原成経と夫婦の契りを結んだ海女の娘千鳥は乗船が認められません。悲嘆にくれる成経と千鳥…

更に異聞。色々な話から都に残された俊寛の妻東屋が平清盛からの出仕を拒んで殺されたというのですが、よりによって東屋を手にかけたのは使者瀬尾だというのです。もはや帰京になんの未練もなくなった俊寛は、自分の代わりに千鳥が船に乗れるよう瀬尾に懇願しますが、無下にされてしまいます。

思い余った俊寛。瀬尾と斬り相いになり見事本懐を遂げます。そして、もう一人の使者丹左衛門尉に瀬尾を斬り罪人となった自分は島に残るので、代わりに千鳥を乗船させてほしい願います。

舫い網が解かれ船が島を離れる段、やはり未練は立ちきれなかった俊寛。船を追うも波に阻まれ、最後は岬の高台に生える松の木につかまり、船を戻すよう叫び続けるのでした。役者さんの迫真の演技に思わず涙が…

今回も、そして今年一年、ご笑覧いただきましてありがとうございました。皆さま、良いお年をお迎えください。

□ ANOTHER STORY

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