うさぎ追いしかの山 大磯鷹取山

年末年始は比較的暖かくて、老いの小道を歩き始めた自分にとってはありがたいことです。今年も山を歩いて、湯につかり、粗末な宿で美味い料理と酒を楽しみたいと思っています。が、その前に、原点回帰ケロヨン倶楽部。私が子供の頃から慣れ親しんだ地元の里山をご紹介します。

大磯鷹取山。ワタクシの地元です。

ご存じの方も多いとは存じますが、神奈川県西部には丹沢山地から相模湾に迫り出す大磯・渋沢丘陵があります。その一角、幼い頃より慣れ親しんだ「兎追いしかの山」、大磯鷹取山をご紹介いたします。鷹取山は神奈川県内でも何座かあって間違われることも多いのですが、その中でも割と知名度のある逗子と大磯の鷹取山は、それぞれ「逗子鷹取山」、「大磯鷹取山」なんて地名を冠して呼ばれることが多いです。

大磯鷹取山については、元々「栗原山」と呼ばれていたようですが、鷹狩を愛好した神君徳川家康が平塚の原で鷹狩をした際、愛鷹が逃げてしまい、その鷹を捕らえた場所がこの山だったので、名前が変わったそうです。

大磯鷹取山は大磯町と平塚市の市町境にありますが、山らしいピラミタブルな姿を見せるのは南面の大磯側で、私が子供の頃、町内には田畑も多く、どこからでもその姿が望めました。当時より耕作地が減って宅地が増えましたが…今も鷹取山は存在感を示しています。「大磯富士」とまでは言えませんが、オラが町の最高峰です。(逆に北の平塚側からだと周囲の丘陵地に飲み込まれて、どこが鷹取山の山頂であるか今一つ判然としません。)

懐かしい母校の校歌にもうたわれていましたので、ご紹介しておきます。

雲上がる 雲上がる 鷹取山 父母の山につながる 心よ夢よ ここに育ちここに学ぶ われらの春秋 われらの国府小学校(大磯町立国府小学校校歌)

名に残るみやびのみやこ 新しき世の光みなぎり 国府われらが郷土 鷹取山に朝日かげ かがよう見れば 男の子われら励まざらめや おみな子われらたおやかに伸びん 国府われらが郷土 中学われらが学びの母校 栄光つねに(大磯町立国府中学校旧校歌)

思い出がとまらない

さて、いつものとおり前置きばかりが長くなりました。

大磯鷹取山ですが、自宅から裏山に登れば丘陵の上を歩いて山頂まで歩くことができます。しばらくは半世紀前の新興住宅地の中を歩いていきますが、カメラを下げたおじさんは不審者以外の何者でもありません。ここは足早に通過します。

二宮から大磯にかけて、相模湾に向けて開けた丘陵の斜面にはみかん畑が広がっています。この辺りは温州みかんの北限になっていて、西国や三ケ日など有名産地のみかんに比べると酸味が強く好き嫌いが分かれると思いますが、私にとっては子供のころから慣れ親しんだみかんの味。少し酸っぱいみかんが好みです。

母方の親戚がみかん農家をやっていたので、子供の頃は手伝いに動員される母にくっついて行ったものです。収穫されたみかんを入れるコンテナに入ってモノレールに乗せてもらった遠い記憶があります。本当は人を乗せてはいけないのでしょうけど、今となっては時効でしょう(笑)その他、おじいさんが竹を切って作ってくれた箸で食事をしたり、どこからか自然薯を掘ってきて食べさせてくれたり…懐かしいなぁ(涙)

丘陵地に点在する西久保、黒岩、虫窪などの集落は、昔は総称して「山」と呼ばれていました。山の子たちはバス通学で、それが妙にうらやましかったです。よく遊ぶ友人がいて、その子の家に遊びに行く際はバスで行くのですが、バス停以外でも乗降できる路線だったので、バスに乗り遅れそうになったとき、友人の先導で抜け道を走りのんびり走るバスを先回りして乗車したこともありました。

「山」には、カブトムシやクワガタもいっぱいいましたね。これまた昔話になります。

私の父は勤めていた郵便局から払い下げられたポンコツのカブを自家用で転がしていましたが、その後ろに乗せられてカブトムシを捕りに行ったものです。カブだけに(笑)明け方の山を走り回り、帰りには米袋いっぱいのカブトムシが捕れました。自分で飼うわけではなく、近所の友人に配ったり、父は郵便局でお客さんに配っていたようです。

ときには、カブトムシが米袋を破って、某映画に登場した人食いカブトムシの様にバイクの後ろで身動きできない私の身体にまとわりついてきたり、振り返ると道路にポツポツとカブトムシのルート軌跡が残されていたり…

バリエーション多き里山

昔話ばかりで話が先に進みませんが、山集落を抜けると山コースと沢コースに分かれます。

先ずは山コース。といっても、ゴルフ場のへりに通じる車道を歩いて鷹取山の山頂に向かうルートです。山林を切り開いて開発し、日常除草剤を散布するゴルフ場には余り良い印象はないのですが、大磯のゴルフ場は私が生まれる前からあって、子供の頃は近所の人や友人の親がキャディーバイトで雇用されていたことを思えば、何とも言い難いところです。

甲高いドライバーショットの音とブルジョワ層の歓声を聞きながら東に延びる道を歩くと、タブやスダジイの大樹が鬱蒼とする鷹取山の山頂(219m)に至ります。山頂には鷹取神社が祀られています。鷹取山は山麓の大磯町生沢(いくさわ)地区の鎮守として、木花咲耶姫命が祀られ、歴史は平安時代初期まで遡るといわれています。木花咲耶姫命といえば、富士山浅間信仰の御祭神ですが、鷹取神社もかつては鷹取浅間社と呼ばれていたそうです。

本殿から南へ延びる尾根を辿ります。山頂直下は階段状の急下降になりますので要注意です。やがてナラやクヌギの落葉樹のなだらかな尾根筋になって、生沢地区の住宅街に下山します。

登山口近くには東の池という農業用ため池があります。今では周囲を護岸で固められていますが、かつては畔に葦や菖蒲などが生い茂る野池の趣がありました。この東の池は私にとっての「小鮒釣りしかの池」で、学校から帰るとチャリンコを転がしてやって来ては、ザリガニやクチボソ、ヌマエビを捕っていました。練り餌やミミズを餌にして大きなフナも釣れました。

今となってはクチボソやヌマエビはほとんど見られず、ブルーギルやブラックバスなんて外来種が幅を利かせているようです。それでも初夏には蓮の花が咲き、イトトンボやチョウトンボが飛び交うのんびりとした風景を楽しめます。

さて、東の池の畔には生沢のバス停があり、二宮駅までバスで帰ることもできます。私は生まれ育った大磯国府地区の風景を楽しみながら歩いて帰ることが多いですけど。

もう少しお時間が許すなら沢コースもちょっとだけご紹介しますので寄っていってください。

沢コースは鷹取山の西側を流れる谷戸川の渓谷沿いに通じる農道になります。谷戸川は先述の黒岩地区の池之神社付近が水源で、渓谷から農地、市街地を経て下流で鷹取山の山向こう(東側)から流れてくる不動川に出合う小さな川です。鷹取山特有の黒っぽい礫岩の渓谷を流れる風情は涼やかですが、上流に集落や農地、ゴルフ場があるせいか、川面を覗くと水質はイマイチです。

とはいえ、アブラハヤやモクズガニの姿を見ますし、それらを捕食するカワセミや冬には高山から飛来したルリビタキの姿も見かけます。子供の頃は色鮮やかなコイや金魚がいて、タモを片手に通った時期もありましたが、ゴルフ場で飼われていたコイなどの稚魚疑惑がありましたね(笑)冬はちょっと寒々しいので、夏に歩きたい沢コースです。

鷹取山にはこれらの他、北の平塚側にも霧降渓谷や吉沢の池などがあって、こちらも変化に富んだ楽しいコースになっていますが、またの機会にさせていただきます。

個人的な思い出話ばかりになり大変恐縮ですが、今回もご笑覧いただきましてありがとうございました。

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