年に一度の大事な日

一年の中でとっても大切な日がやってきました。

 

 

そう。

それは川越祭り!!

 

 

 

 

私の家族は川越祭りが一年の中心にあるようなそんな家族。

そのためこの日にかけるパワーがものすごい。

旅行行くにしても、ご飯行くにしても、基準が「祭り」。

そんな家庭環境で育ったため、自然と私も祭りに対する心持ちが変わってきます。

 

祭りが一番のハレの日!!

 

というマインドが奥深くにしっかりと刻まれています。

だからこそこの日が一年で一番大切なのです。

 

川越まつりでは「山車」がでます。

神輿と違い、車輪がついており、それをみんなで引っ張りながら曳きまわします。

旧市街地にあたる蔵造りの通りを中心に山車が街中を練り歩くわけですが、これがまたすごい。

高さ、およそ10m弱。

日本では大きくても2階建てまでの建物だと考えたら、

この山車が曳きまわるということは建物以上の高さが動くことになる。

 

それ故に幕などを豪華絢爛にし、人形を乗せ、神を喜ばす。

建物以上の高さのものを曳きまわすことで神様の依代にしたということです。

 

 

あくまでも川越まつりは川越氷川神社の例大祭がメインのお祭り。

その付け祭りとして山車の曳きまわしが始まりました。

今では川越祭りにくる方々は山車行列をみにきますが、そもそも山車はあくまでもおまけでしかありませんでした。

恐らく「神社でお祭りするのもいいけど、各町内で山車がでて神様に感謝を表現したら更に神様よろこぶんじゃない?」みたいな感じで思い切って付け祭りを始めたのだと思います。(あくまでも推測)

 

その時に本気で山車を造ってくれたおかげで今の私たちはその恩恵を受ける形でお祭りができています。

私の町内の山車に乗っている人形は江戸時代の鼠屋五兵衛さんが安政3年に造ったものなのです。(実際に曳きまわす際に乗っているものはレプリカ)

人形の文化的価値が非常に高く、都内の某有名博物館から展示の引き合いがくるくらい素晴らしいものなのです。

その姿はとてもリアルで大きい。

そして生き生きとしており、無機質な物質でできているものとは思えない存在感があります。

安政3年にできてから平成29年までのこの161年間、よく綺麗に残っていたと思います。

 

私たちの町内に住んでいたご先祖様には感謝しないといけませんね。

森田家はずっと川越の家系なので森田家の先祖にも感謝です。

 

そう考えていくと、そろそろこのお祭りの素晴らしさをちゃんと残していくという役目を私個人も担っているのだと感じました。

 

祭りに参加することはもちろんのこと、次世代に残していく、楽しさを理解しあうということが大切なのだと。

まつりの夜を歩いていると昔は10メートルに1人くらい知り合いや同級生に会っていたのですが、ここ数年でぐっと少なくなりました。仕事や結婚の理由で他県へと移り住んでいく。

夜の曳きまわしに幼い頃から一緒に回っていた友人も川越まつりでも帰ってこなくなってしまいました。

 

私は自分自身のアイデンティティの中に日本文化が占める割合が大きいため祭りには欠かさず出席するようにしています。

だからこそこの祭りがずっと残っていくことを願ってやまないのです。

 

もちろん、私一人が何かを叫んだところで100年後も平和に川越まつりは執り行われますが、その100年後の人たちのために祭りを守るピースになれたらと。

 

祭りが終わった今、もう早速来年の祭りが楽しみです笑

 

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