リグナ株式会社の村野 友明です。

初投稿なので、基本に忠実に自己紹介からスタートします。

村野友明(ムラノトモアキ)と申します。

1979年千葉生まれの41歳。文字に起こすと嫌気がさす年齢になりました。

現在はリグナ株式会社という、インテリアのセレクトショップインテリア事業の執行責任者としてお仕事をさせて頂いております。

自己紹介と言っても、全くキラキラなキャリアでもなく、まぁ陳腐な表現ですが「ごく普通」の僕のキャリア。つまりは語るには弱いもの。なるべく途中離脱されないように書き進めますので、何卒お付き合いのほど…

4歳からピアノを始め、13歳でバンドに目覚め、15歳から本格的にギターとバンドにのめり込む高校時代。

「将来は音楽関係の仕事をする!」

と、ただ漠然と大学まで行った「ごく普通」なキャリア。

 

僕らの大学時代は、こんがり焼けたギャル、大学イベントサークルがブームの真っ只中。僕も抜け漏れなく、日焼けとクラブに通う日々。今思えば、もっと勉強しておけばよかったと、「ごく普通」の反省をする大学時代。

 

20歳の頃。クラブと日サロばっかり行ってた

 

そんな甘々な僕は、以前からの夢だった「音楽業界への就職」に邁進し、大手のレコード会社に応募するもあえなく全滅(某大手レコード会社は最終面接までは辿り着けた)。

11月にもなって仕事が決まらない、、何の能力もない僕は、

「とりあえず、営業は全てに通じる。それなら厳しい世界で営業をやろう!」

とまぁ、気合だけの呑気な就職活動を続け、とある個人向け投資の営業職につく事になります。

 

そんな呑気過ぎた僕に人生の神様はご立腹だったのでしょうか。

厳しいとは分かっていながら入った会社は、

「限りなく漆黒に近いブラック」

でした。

具体的にはお話し出来ませんが、朝からテレアポ400件かけさせられるわ、シラミ潰しに朝から晩まで飛込み営業させられるわ…令和の今ならありえない、実にエグい仕事でした。
今でも忘れられないセリフは…

「白い歯見せて笑うな!」

 

営業数字が出ないと、もれなく椅子はなくなります。あっ、受話器を包帯で手に巻かれた人もいたなぁ…

それでも僕は、

「とにかく3年はやる!」

という、これまた今なら時代錯誤な思いで邁進。まさにがむしゃらの日々でした。

しかし、ある時期から会社の雲行きが危うくなり始めます。同時に僕も十二指腸潰瘍にもなり、大腸にポリープが出来上がり、いい感じに病み始める事に…

医者には

「今の仕事を続けると、本当に身体壊すよ…」

と脅され、断腸の思いで2年で退職。ちなみに4年半連れ添った彼女と別れたのもこの頃。ストレスで一番太っていたのもこの頃。

 

会社を辞め、とりあえずリハビリと思い、地元に戻り何故かソニープラザで女の子に囲まれながら販売業務。軍隊のような男社会に疲弊しきった僕は癒されたかったんですね。

ところが…

「そうは問屋が卸さない」

ワケです。今度は女性スタッフの派閥的なものに巻き込まれ…

「女の人って難しい…」

を学ぶ事になります。

この頃はサーフィン三昧の日々。ほぼ毎日の様に時間があれば海に入る、海坊主な時代。

雨だろうと雪だろうと良い波されあればお構いなし。

この頃かな?インテリアを仕事にしたいと本気で思い始めたのは。

 

一年中日焼けで黒かったサーファー時代

 

元々インテリアや住宅が好きで、大学生の頃の一人暮らしの部屋には、クラブで貰ってきたフライヤーを張ったり、壁紙貼ったり、ギターを壁に掛けたと、素人ながら色々とやっていました。ユニットバスの電気をブラックライトにするという、今なら恥ずかし過ぎるセンスではありましたが。

そんなサーフィン三昧のフリーター生活を10カ月続けた後、僕のその後の人生を左右する事になる大塚家具に入社。

僕はこの大塚家具で、様々な部署で色々な経験をする事になります。まだ自己紹介中ではありますが、初回の今回はここまでに。

続きは次回に。

 

こんな僕ですが、皆様お付き合いの程、よろしくお願いいたします。

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