「推しの子」に会いに【西丹沢 畦ヶ丸】

西丹沢とは、一般的に神奈川県西部の山域を指します。その西丹沢のちょうど中央を南北に流れるのが、酒匂川の支流の河内川です。この川の左岸(東側)には、丹沢の主稜線で蛭ヶ岳に次ぐ次峰檜洞丸があって、誰もが西丹沢の盟主と認める存在です。

その檜洞丸と河内川を挟んで向き合う位置に畦ヶ丸(あぜがまる)という変わった名前の山があります。

西丹沢や山梨県東部では、山のことを丸と呼ぶことが多いのですが、「畦」とはこれ如何に?一般的には田んぼに水を溜めておく土留めのことですが、この場合はお墓=塚の意味に近いそうです。

これら西丹沢の山並みを客観的に眺めた時、荒々しい稜線を南北に下ろす檜洞丸と、河内川の対岸で静かに佇んでいる畦ヶ丸の姿が対照的です。どちらも素敵ですが、ワタクシは後者の畦ヶ丸の姿を愛してやみません。「推しの子」なのです。

沢沿いの爽やかロード

畦ヶ丸への導入ですが、一般的には、登山ベースとなっている西丹沢ビジターセンターから河内川に架かる橋を渡って、西沢沿いを歩くルートです。西沢は畦ヶ丸の山懐から流れ出る沢で、結論から先に言うと、畦ヶ丸登山の最大の魅力は、この西沢沿いの爽やかなルートにあると思っています。西丹沢らしい御影石に磨かれた清流にヤマメの銀鱗が閃きます。そんな西沢を右岸から左岸へ。左岸から右岸へ…木橋を渡ったり、時には石の上を飛んで渡渉します。

西沢を遡行していくと二つの名滝があります。

ひとつは西沢の本流から支沢を少し入ったところにある下棚です。落差約40m。水量はそれほどでもないのですが、柳腰なしなやかさを感じられる女性的な滝です。

西沢に戻って更に遡行したところにあるのが本棚です。落差約60m。西沢本流の水量の多さに圧倒されるこちらは男性的な滝です。本棚の面白いのは、遡行していくと正面にチョロっとした滝があって「なんだ、この程度か」と油断していくと左手後方からドカーンと隙を突かれるところです。山歩きの嗜みがなくても、西沢を歩いて滝を見にいくだけでも楽しいと思います。

シロヤシオが咲く尾根道

畦ヶ丸登山ルートの中で一番人気、西沢から北の稜線に上がって山頂を目指すルートをご紹介しておきます。昨年5月に歩いた際の記録です。

西沢を離れて北側の斜面に取り付きます。この区間は上り一偏の急登で、このルートの山場です。支沢沿いから植林帯に入り、更にザレた尾根上の低木帯を抜けて行く、変化に富んだ区間です。

善六ノタワ(タワはたわみ=鞍部)で東西尾根に出合ったら山頂方面に稜線を辿っていきます。標高が1千mを超える善六ノタワから山頂にかけては、5月に山つつじの類が開花します。

白花のつつじはシロヤシオといい、三つ葉が多い山つつじの中で五葉な特徴から「ゴヨウツツジ」の別名で呼ばれることもあります。濃いピンク色が目を引くのはトウゴクミツバツツジです。一般的なミツバツツジよりも桃色が濃いのが特徴です。どちらのつつじも畦ヶ丸に限らず、丹沢山地一帯で花を咲かせる初夏の風物詩です。

ちなみに今年はヤシオツツジの裏年。植物にとって花を咲かせることは体力を使うこと。従って、花つきの良い当たり年と花つきの悪い裏年があって、ヤシオツツジに関しては5年前後の周期で当たり年と裏年が繰り返されるようです。

畦ヶ丸の山頂は、樹林に囲まれているので展望がありません。山頂から少し南に下った場所にある避難小屋で休憩しましょう。数年前に建て替えられた窓が大きく明るい避難小屋です。以前は薄暗く薪ストーブが特徴のマニア向けな小屋でした。(ストーブ愛好家は多かったようです)窓辺でおにぎりを食べているとゴジュウカラなど小鳥の姿を見ることがあります。

山頂にこだわらない山歩き

さて、今年も「押しの子」に会いに先日出かけてきました。前述のとおり、今年はヤシオツツジの裏年ともあって、尾根上のルートは選ばず、山頂に拘らない山歩きを楽しんできました。

西沢から杣道を歩いて南の稜線に上がってみましょう。

しばらく植林帯を歩いて木の根が張り出した尾根道をたどると東西尾根に出合います。この尾根は東の権現山(前権現)と畦ヶ丸山頂を結ぶ尾根で、ワタクシは吊り尾根と呼んでいます。ちなみに吊り尾根とは、二つのピークを結ぶ稜線の尾根のことをいいます。

出合から一旦東へ、ヤセ尾根を急登すると前権現(箒沢権現山)の山頂に到達します。南面が開けて、眼下に河内川上流部の中川温泉、流れを辿って丹沢湖を見下ろします。丹沢湖の先には山頂の牧場が特徴の大野山が見えました。遠景には箱根の山々を望みます。初夏の爽やかな風が実に心地良く、暫しうたた寝を楽しみました。

ちなみに権現山という山が西丹沢にはもう一座あります。丹沢湖左俣の世附(よづく)という場所にあって、こちらは世附権現山とか本権現などと呼ばれています。

山頂から出合に戻りますが、途中の樹間から畦ヶ丸南稜の越しに富士山が覗いていました。同じ尾根の往復ですが、行きと戻りで違う景色が楽しめるのも山歩きの楽しさです。

今度は吊り尾根を西に歩きます。そのまま吊り尾根を辿って畦ヶ丸山頂に向かってもよかったのですが、途中から南の大滝沢に下る支尾根に入ることにしました。この尾根上は、いくつか小ピークがあって、尾根が派生するため地形図でルートを判断する能力が求められます。

革命未だ成らず

なんとか読み通りに大滝沢と支沢の鬼石沢の出合いに建つ避難小屋の屋根が見えてきました。この一軒屋避難小屋は、両沢の出合に建つ実に雰囲気の良いロケーションですが、実はいわくつきの歴史がございます。

この避難小屋が立つ前に、この場所には炭焼きを行う施設がありました。時代は燃料が炭から電気やガスに変わっていった昭和40年代。人の営みが消えた隙を狙って、時代に抗う革命左派「京浜安保共闘」の戦士がここにアジト(山岳ベース)を構え、訓練や爆弾を製造していたそうです。やがて京浜共闘は赤軍と合併して連合赤軍となり、「総括」に代表される凄惨な同士討ちによって衰退、末は公安の山狩りにより壊滅しました。

連合赤軍の残党は、あさま山荘事件を引き起こすことになります。ちなみに今は亡きワタクシの父君。軽井沢でドンパチやっているとき、たまたまバックカントリースキーで近くを通りかかり、遠くからその様子を伺っていたとか、どうとか。

小屋裏手の山の神にお参り。革命戦士たちも革命の完遂を祈念して手を合わせたのかもしれません。ワタクシもいつか…( ̄▽ ̄)✨

さて、一軒屋から大滝沢沿いに県道76号へ下るルートは、先述の西沢に負けず劣らず爽快な道で、東海自然歩道の一部にもなっているのですが、沢側が切れ落ちていたり崩落個所もありますから要注意です。

今回はちょっと寄り道。マスキ嵐沢という支沢の出合から大滝沢を遡行して地獄棚に立ち寄りました。落差約50m。西沢の本棚のような迫力には欠けますが、名瀑といえる滝です。

地獄棚から更に遡行すると雨棚という名瀑があるのですが、ゴルジュ(V字谷)地形を通過する際に確実に濡れてしまうので、やめておきました。カメラを水に漬けるのが怖かったのが本音ですが(笑)

神奈川県に戻って早々、丹沢の推しの子に会いに行けました。次はどの子に会いに行こう…浮気者です(笑)

今回もご笑覧いただきまして、ありがとうございました。

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