ある音楽家のキャリア・パス

こんにちは! ケルト音楽専門の楽器店「ケルトの笛屋さん」を経営している、フルート奏者のhataoです。この連載では私のようなスモールビジネス経営に興味のある方に向けて、私の経験やアイデアを発信しています。

前回の記事では、プロの音楽家を「ティーチャー」「プレーヤー」「パフォーマー」「アーティスト」の4つのタイプに分類して、それぞれの特徴について解説をしました。

記事を書いた後、私の音楽関係の友人知人から少し反響がありました。多くの方が指摘したことは、一人の人物が完全にどれかのタイプに割り切れるということはない、ということです。この点については私も同感です。

音楽家にとって、週末はコンサートしながら平日はレッスンをするのは当然の生活スタイルですし、また心のバランスにおいても、サポートや伴奏を専業とするプレーヤーであっても自分の個性や独自性を追求するのは自然なことです。レッスンやスタジオ演奏を本業にしながらアーティストとしての活躍を目指して準備している、あるいは収入を度外視してライフワークとしてアーティスト活動をしている人もいることでしょう。

今回は私の20年の音楽人生をどのようなバランスで歩んできたのか、またそれぞれのタイプで小さいながらも成功するために必要だと思うことを掘り下げてみます。

アーティストを夢見た20代前半

 

私は学生時代からステージで演奏するアーティストにあこがれていました。私が活動しているヨーロッパ伝統音楽の分野では、ロック歌手のようにオリジナルを作って歌うのではなく、伝統曲の器楽演奏が主となりますが、それでも個性的で革新的な音楽や演奏スタイルを作ることを目指していました。

親には大学卒業後3年間やりたいことをやると宣言。共通の目標を持つ20代とバンドを結成しました。音楽家として自立することを目指して全員が就職をせずアルバイトをしながら、曲作りや練習やライブに打ち込んでいました。

しかし3年が経っても私達はアルバイト生活から抜けることはできませんでした。その当時付き合っていた彼女と結婚話が持ち上がり、私は会社に就職することになりました。青春もの映画にありがちなダサくて泥臭い3年間でした。若い時代の限られた時間、何かに真剣に挑戦するのは良いことです。結果が望んだ通りでなくても、少なくとも、年を取ってから後悔することはないでしょう。

レッスンで生活基盤を築いた20代後半

一時的に自分を騙して就職してみたものの、思い描いていた趣味との両立はできませんでした。私は1年も立たずに会社を去り、好きで得意な音楽で自立する道を模索し始めました。その当時、生活を支えたのはレッスンでした。楽器を教えることはこれが初めてではありませんが、教室運営のノウハウを本で学んだり、広告を打ったりして本格的に生徒募集をしたのがこの時代です。

3校でのカルチャーセンター教室や自宅レッスンで一時期生徒数は50人程度にまで増えました。この時は自宅にひっきりなしに生徒さんが来て、朝から夕方までほとんど休みなしで教えるということも珍しくはありませんでした。

レッスンは楽ではありません。私はレッスンで生徒と一緒に楽器を演奏するので、一日中楽器を演奏していると考えると想像ができるでしょう。この時期、あくまでも私の本業はステージでの演奏で、レッスンは副業と考えていましたが、収入面ではレッスンが柱となっていました。朝から夜まで詰めると一日3万円は稼げるので、これを20日間行い、月に4回コンサートをすれば、同年代の収入をはるかに超える収入になります。私はささやかな経済的自由を噛み締めていました。

しかし、ある時から手がうまく動かなくなり、演奏に支障をきたすようになりました。レッスンのし過ぎで手を故障してしまったのです。状態はどんどん悪くなり、ついには教室の閉鎖やレッスンの休止という事態に至りました。

30代、楽器販売や著作業など複数の収入を組み合わせる現在のスタイルに

その頃は精神面でもどん底で、このまま手が使えなくなったら演奏家を廃業するしかない。そうなれば何をして食べて行けばよいのかという恐怖に怯えていました。そうして30歳頃に楽器販売を始めたのが、現在の「ケルトの笛屋さん」です。

幸い私の手の状態はそれ以上悪化することなく、徐々に演奏ができるようにもなっていきました。現在では演奏、レッスン、書籍の執筆、楽器の販売業など複数の仕事をそれぞれがやりすぎることがないようにバランスよく組み合わせています。

私は器用な性格なので、音楽に関することであればどんな仕事も「それなりに」こなすことができます。かえって一つのこと、例えば演奏のツアーが立て込むとか、レッスンだけで何日も過ごすと、疲労が蓄積して嫌になってしまいます。ですので、ある仕事が忙しくなりすぎて他の仕事に影響することがないように気をつけています。

レッスンも演奏も、一時期に比べてずいぶんと減りましたが、私には現在のバランスがちょうど良いと感じています。

40代、アーティストはいつからでも目指せる

一時期はレッスンや楽器販売の仕事が忙しすぎて練習もままならなかったのですが、40代に入ってから楽器の練習が再び楽しいと思えるようになってきました。20代の頃は、短期間で成功しなければいけない、ライバルに勝たなければいけないというプレッシャーが強く焦燥感で必死になっていました。成功のために苦手なことを克服し、自分を変えなければいけないと思っていました。

今は楽器を始めたての頃のように、純粋な好奇心と楽しみで楽器に向き合うことができています。それはアーティストになること以外で生計が立てられるようになって経済的・心理的に余裕ができたことが一つの現実的な理由です。そして音楽は競争ではない。やりたいときに、やりたいようにやればよい。そんな意識の転換が、一時期は冷めかけていた楽器への情熱を取り戻させたのです。

アーティストになるというのは、誰かに認められることや商業的な成功によって達成されるのではありません。たとえ規模は小さくてもコンサートをし、自分らしさを認めて求めてくれる少しのファンが存在すれば、もう立派なアーティストです。そんな聴衆が全国や全世界にいれば、十分活動を続けていくことができるのです。

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