山笑海笑

神奈川県西部在住。丹沢や大磯丘陵を歩いて、風景を楽しみ動植物を愛でるのが好きです。週末は郊外に出て山野を歩き回っています。令和5年は転勤で名古屋周辺を楽しんでおりましたが、1年で帰ってまいりました( ̄О ̄)ゞ

足柄山の山奥でゲダモノおじさんズベノー作戦【湯船山稜】

5月の半ば、隣県静岡に入った小山町にやってきました。国道R246沿いにある金時公園。富士山や箱根金時山を望む園内には、かの金太郎こと坂田金時を産み育てたという山姥八重桐が住んだ場所に建つ金時神社、金太郎の産湯に使われたといわれるちょろり七滝、金太郎が登って遊んだ金太郎杉(明治期に伐採)の二代目など伝承に由来する場所のほか、「足柄山の山奥で獣(けだもの)集めて相撲の稽古…♪」と歌われた唱歌「金太郎」にちなんだ土俵が設置されて、休日はちびっ子相撲の歓声があがります。

三国峠を越えて

先ずは金時公園に母機鈍牛くんを置いて、ダッコロ(Daxを転がす)で甲相駿三国の国境三国峠を目指します。

「いつもの山坂道にやってまいりました」とは、懐かしい某モータージャーナリストの決まり文句です(笑)富士スピードウェイ近くの小山町上野地区から三国峠を越えて通じる県道山中湖小山線は、斜度20%以上の急勾配で、先の五輪では自転車コースの一部になった他、ヒルクライムの聖地として知られています。

急勾配を登り切った明神峠から三国峠の間は、東側の展望が開けて、丹沢の山並みを一望できます。雲海が出る日もあってお気に入りの展望スポットなのですが、駐車スペースがなく、車両の往来が激しいので要注意です。また、眼下に広がる西丹沢(にしたん)深部は、歩く人も希な静かな山域で、これまたワタクシお気に入りの山域であります。タンタンタタンタン!Daxは悲鳴を上げながら峠を目指します。あ、表現に意図するものはございません(笑)三国峠を越えた山梨県側は、萱の原が広がる鉄砲木ノ頭という山を巻く緩やかな下り坂です。このような一面萱の原が広がる山の姿は、かつて、萱が民家の屋根など生活に欠かすことのできない資材だった時代。山麓の集落の住民が山の木を伐採して萱を植え、萱刈場としたことの名残です。鉄砲木ノ頭は、山麓の山中湖畔にある平野集落の萱刈場になっていたそうです。(山中湖水陸両用バスKABAより見る鉄砲木ノ頭)

今や萱の需要は少なくなりましたが、樹木が伐採されたことにより富士山の展望が素晴らしく、多くの人が訪れるようになりました。今回も三国峠を越える必要はなかったのですが、せっかくなので富士山を眺めていこうと寄り道した次第です。

サンショウバラを訪ねて

三国峠から引き返して相駿国境尾根に戻り、今回の山行の登山口となる明神峠から少し南へ下った道路脇にダックスをデポしました。この時はよい場所を見つけたと思ったのですが…相駿国境尾根南面の杣道に入ります。薄暗いヒノキの植林帯の中、微かに続く踏み跡は、かつての林道か送電線の巡視路なのでしょう。色のない植林内で山つつじの朱色だけがやたらと鮮やかでした。杣道が稜線に出合った場所にサンショウバラの大木があります。サンショウバラとは、その名のとおり、枝葉が山椒に似ていることが特徴の木本のバラです。成長した個体は樹高5m以上になるそうで、毎年5下旬から6月上旬にかけて5cmほどの薄い桃色がかった花を枝先に咲かせます。この花は、開花後1日で散ってしまうため、花が見頃の時期にピンポイントで訪れることはなかなかテクニカルなことになります。今回はまだ早かったようで、枝先に青いつぼみを確認するのみでした。また、サンショウバラは、富士・箱根地域の限られた地域に分布していることから別名「ハコネバラ(箱根薔薇)」と呼ばれていて、この花が咲く神奈川県箱根町では町花、山梨県山中湖村では村花に指定されています。

今回の山行は、このサンショウバラが自生する丹沢の最西部湯船山稜(相駿国境尾根)を歩くお花見山行の企画です。さて、どうなりますか…

湯船山稜のブナの森

明神峠のサンショウバラから東へ。先ずは山稜の最高峰湯船山を目指します。湯船山という名の由来ですが、山麓に温泉が湧出することに由来するそうで、南麓の湯船地区には、かつて、あさかえ湯という鉱泉宿があったそうです。

こちらは半分ガセネタとしてお聞きいただきたいのですが、ワタクシが以前、湯船山北麓の水ノ木幹線林道を歩いた際、白く濁った水が流れる沢に出合ったことがあります。手を浸したところ常温でしたが、これも鉱泉なのかなと思ったことがありました。湯船山の山頂から東隣りの白嵓ノ頭(しろくらのあたま)にかけての標高1千mを超える稜線には、鬱蒼としたブナの大樹が群生しています。富士山は近いはずですが、たまに樹間から覗く程度で展望はほとんどありません。原生林の森に渡る野鳥の鳴き声と…バイクのエンジン音(笑)湯船山稜は先述の静岡県道147号線や富士スピードウェイから程近く、峠越えのバイクや車のエンジン音が聞こえてきます。少し不思議な気がしました。白嵓ノ頭から一気に高度を下げた峰坂峠。かつて駿河小山から西丹沢の世附や水の木、地蔵平など山間集落を結ぶ交易の道が通じ、駄馬が稜線を越えていたことでしょう。木陰に置かれたコンクリート製のテーブルと椅子は、半世紀以上前のものでしょうか…苔が宿って味わいがあります。ここ、好きな場所なんです。

樹下の二人(丹沢ver)

峰坂峠から悪沢峠を経て、ゆる~く登り返すとサンショウバラの丘と呼ばれる場所です。

展望が開けて、正面(東)に不老山を間近に望みます。南には金時山など箱根外輪山がよく見えていました。振り返ると(西)歩いてきた湯船山稜が。白嵓ノ頭の先に富士山が覗いていました。北側は樹林によって遮られていますが、立ち位置を変えると、西丹沢の山並みとそこから西へ延びる甲相国境尾根を望めました。さて、サンショウバラの丘ですが、その名のとおり、サンショウバラの木が群生しています。先述の明神峠より標高も低く、日照も良い場所なので、ポツポツ開花が確認できましたが、それでも見頃には早かったようです。サンショウバラの丘は、古くから風光明媚な場所として知られていたようで、戦前の思想家徳富蘇峰夫妻が籠を仕立ててこの場所を訪れたことから「蘇峰台」と呼ばれることもあります。かつて、小山町を取り巻く三国山稜や湯船山稜、足柄峠の登山道に色彩とユーモアにあふれた道標を設置された岩田たに泉さんという方がいらっしゃいました。数ある作品の中で、サンショウバラの丘の看板には、高村光太郎の智恵子抄になぞらえて「樹下の二人」と名付けられていました。今となっては、シンボルツリーのマユミの木も枯れ、看板も朽ち果ててしまいましたが、岩田翁の看板を楽しみながら山稜を歩いた頃が懐かしい思い出です。(在りし日の道標)

地図読み遊びを楽しみながら下山

サンショウバラの丘から東へ下ると、不老山との鞍部、不老山林道が稜線を越える世附峠。今回は午後から用事があったので、ここから南へ延びる湯船林道を歩いて金時公園方面へ下ることにしました。

林道歩きも嫌いではありませんが、途中、香ばしい踏み跡を発見したので、地形図を読みながら踏み入れてみると、ケヤキ沢という沢沿いに杣道が延びていました。富士山に近いこの山域は、ローム層と呼ばれる火山灰の土壌で形成されています。この様な土壌は、水はけは良いものの、過度の集中降雨の際は露出面が流出してしまうため、西丹沢深部の山域は近年の激甚水害により荒廃する傾向です。

調子こいて杣道に踏み入れたものの、崩落個所により踏み跡を見失い、再び林道に戻ることになりました(笑)湯船林道ゲートの一部に鉄道のレールが使用されていました。かつて湯船山稜の北麓、世附川沿いに通じていた世附森林鉄道の廃材なんでしょう。

野沢川沿いに歩いて柳島地区に下山しました。湯船山稜南麓ののどかな里山風景も第二東名の巨大な建造物がそびえたち、大きく変わってしまいました。最後は金時公園に戻って、鈍牛くんでDaxを回収に行きましたが、道路脇の草むらに置いてきたDaxは、山アリの巣窟になっていました。Daxにもアリさんにもかわいそうなことをしました。

今回もご笑覧いただきまして、ありがとうございました。