柳父 豊/Yutaka Yanabu

家具・インテリア『Rigna(リグナ)』代表取締役社長(東証一部 綿半グループ) 1989年大阪府生まれ。2013年立命館大学の建築学科卒業後に東証一部の大手照明メーカーに入社。その後不動産ベンチャーに転職で上京。4年の勤務のうち後半2年は副業起業。当時26歳の時に“紳士の社交場”をコンセプトとした移動式ミュージックバーを共同代表として起業する。2018年経営者としての成長を求めてベンチャーへ転職(事業の共同代表も退任)。社長室室長として経営に携わる。2019年8月にリグナ株式会社へ社長室室長としてジョイン。2020年2月に取締役社長に就任。10月に東証一部の綿半ホールディングスへM&Aでグループ入り。代表取締役社長に就任。

エレクトロミュージックというクラブ音楽に狂った男

タイトルは僕のことです。今では”現代の紳士”モダンジェントルマンを目指して紳士道を突き進む?!僕ですが、そもそも東京に出て来る原点を探すと行き着くのがエレクトロミュージックカルチャー。今回は少し昔の思い出と共に改めてカルチャーに熱中することに対して思いを馳せたいと思います。

今から約10年前。世界的に「エレクトロ」というダンスミュージックのカルチャーが流行っていました。それは日本も例外ではなく若者のユースカルチャーとして凄まじいものがありました。

週末になるとナイトパーティー用のお洒落をして決め込んで街に出かける。それが当たり前でした。それによって人気になったブランドなんかもありましたね。クラブに行くから汚れても良い服なんていう概念はなくダサい格好では行けないとう空気でした。ファッションと音楽は完全にリンクしていた時代だと思います。

僕も18歳になるやいないや年上の友達にクラブに連れて行って貰いました。お酒は飲めない年齢のためバンドは違う色なのが少し恥ずかしいとか思いながらも、初めてクラブのフロアに降りた時の強烈な印象は忘れません。

昼間にこんなお洒落な人たちは一体どこに隠れているんだろう?と思うぐらいみんなお洒落。エディスリマンのディオールの影響で黒スキニーにメンズハイヒールを履いてるようなお洒落な人たち。18歳の僕にはその光景だけでも強烈でしたが(僕は当時アメカジでレッドウィングにリーバイス501でクラブに行ったような・・・笑)音楽はもっと強烈に僕に刺さりました。初めて行ったクラブの日、僕はオープンからラストまでずっと最前列で狂ったように踊っていました。完全に中毒になった瞬間です。

そこから服装もどんどん変わって当時は美容師ブーム(チョキチョキキング)で奈良さんや馬場さんのような古着のお洒落な人や全身真っ黒な所謂モード系な人を見て沢山の刺激を受けました。全てのバイト代は服のために、特にクラブでカッコい良い服を着るために使っていましたね。

ここで人生を変える出来事が起きました。クラブに毎週末通うようになったある日、知人づてに紹介された人がマモルさんという方でした。僕が毎週末、クラブでずっと最前列で踊り狂っている様子を面白がってくださったクラブのイベントオーガナイズチーム”co-“のボスでした。そのマモルさん(以下マモさん)に誘われて僕もチームに入れて頂きました。これが大きな転機に。そこからどっぷりとクラブオーガナイズのチームに浸ったためカルチャーまみれ状態。

エレクトロから派生して個人的にはハウスも好きだったので仕事じゃなくてもワールドに行ってスギウラムさんのハウスビートやエンマさんのエンマハウスに良く遊びに行っていました。大阪のオンジェムにはドレッシーなファッションをして行くのが楽しくて、トライアングルには少し奇抜だったりストリートよりなファッションをして行くのがとても楽しかった。そこで繋がった人脈は完全に人生を左右しました。

書き始めると書くことがありすぎて終わりが見えないので無理やりここらで終えますが、改めて思うのは圧倒的なブームのカルチャーがあってそのカルチャーにどっぷりつかれたことが本当に良かったと思います。あの時があって今僕は東京にいます。カルチャーにはいまだ魅せられたまま…。

カルチャーに魅せられて育った人間として、僕が大人から教えて貰ったように次の世代にバトンを繋げる事が出来ればと思っています。

▶︎当時大人気だったDEXPISTOLSのFUJIROCKでのプレイ

▶︎僕が大好きだったTHE LOWBROWSのプレイ

▶︎僕ら”co-“のTHE LOWBROWSのリリパ

▶︎左が”co-“ボスのマモルさん。京都の兄貴。