こんにちは、名久井咲です。
私は現在フリーランスとして活動しているのですが、実は今月でフリーランスになって8年目を迎えました。
今回は私がプロジェクションマッピングを始めたきっかけなどをお話していきたいと思います。
プロジェクションマッピングを始めたきっかけ
お客様の顔が見える仕事がしたい、何か誰かと楽しいことをしたい、そう思ったのがきっかけでした。
2012年9月に東京駅でプロジェクションマッピングが行われた翌年の1月頃から調べだしたのですが、当時日本語での解説がまだなく、海外での事例やサイトを調べてみていました。
体験版のアプリをダウンロードして触ってみたり、アイデア出しをしたりしていたのですが、そんな中、同年4月にプロジェクションマッピングのシンポジウムが行われているのを知って、参加してみました。
そこから具体的にプロジェクターにつなげて実際にマッピングをしてみたり、機材の種類の多さを知ったりと、試行錯誤がとても楽しかったです。
プロジェクションマッピングの最初のお仕事
プロジェクションマッピングで最初にいただいたお仕事は、愛媛県今治市でのお祭りの演目でした。
当時コンテンツ制作から現場までを二人だけで行っていたため、音楽は専門外だったのですが、映像やイベントにおいて音はすごく大事だと思っているので、素材を使わずに生音を使うことに。
愛媛県今治市の郷土芸能、水軍太鼓の演奏に合わせ、歴史ある水軍の歴史をモチーフしたプロジェクションマッピングにすることになりました。
そのコンテンツを作るにあたり、歴史的背景を実際に取材するために、漁船に乗って台風前日の荒れた海の中、乗渦潮を見ながら水軍にゆかりのある無人島や展示施設を見て回りました。
今まで全く関わることのなかった地域の歴史や特性を知れるのは、とても有意義で楽しかったです。
プロジェクションマッピングの前々日から設営だったのですが、投影物のサイズ感が図面と違ったり、高所恐怖症なのにイントレに登ったり、色々トラブルはあったものの、無事本番を迎えることが出来ました。
▲取材中に撮影した景色がとても綺麗でした。
適材適所でチームを組むように
プロジェクションマッピングを始めた当初から今まで、6年間の中で変わったことは、適材適所でチームを組むようになったこと。
案件によってテイストだったり機材周りが多かったりと向き不向きがある中で、クリエイター同士で分業して制作できるようになったのは、できることの幅も広がるし、もし私自身に万が一のことがあったとしてもどうにかなるという安心感も持てるようになりました。
一時、一人でやっていくことが重荷になり、やめてしまおうかと考えたこともあったのですが、続けていて良かったと思います。
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名久井 咲
1988年生まれ。東京を中心に活動するフリーランスデザイナー。
主な活動内容はプロジェクションマッピングやレーザーマッピングによる空間演出と、グラフィックデザイン、Web制作、映像制作による広告デザイン。
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