hatao

ケルト&北欧の笛奏者、音楽教師、音楽教材著者、楽器店経営者。 ハープと笛のhttp://hataonami.com、ケルトの笛屋さんhttp://celtnofue.com 演奏、教育、普及で音楽を広める。18年京都烏丸錦に、19年東京都ひばりヶ丘に日本初ケルト音楽専門の楽器店を開店。En한中 3か国語学習中。

ミス、失敗、過ちの違いを理解して成長につなげよう

こんにちは! ケルト音楽専門の楽器店の経営をしている、ケルトの笛のhataoです。この連載では、私のようなスモール・ビジネスの経営に興味のある方に向けて、私の経験や考えをシェアしています。

音楽家でもある私は、秋から年末まで毎週のようにコンサートに出演して忙しく過ごしています。先日とても大事なコンサートに出演した際に、緊張のために演奏ミスをやらかしてしまい、しばらく落ち込んでいました。演奏ミスは常にあることなのですが(笑)、自分はどうしてこんな大事なときに限ってミスするんだろう……?

その日から、音楽に限らず、ミスをすることについて2週間ほどかけて思考を整理しました。英語ではmake a mistake(ミスをする), fail(失敗する), commit an error(過ちを犯す)と失敗に関する様々な表現があり、明確な区別があると最近知りました。日々マスコミを賑わす事件・事故のニュースやゴシップは、これら「ミス、失敗、過ちを犯すこと」がすべてだと言っても過言ではありません。皆さんはその三つの区別がついているでしょうか。本稿ではこれら3つを整理し、学びにつなげられればと思っています。

ミスについて


私たち人間は日々、ミスをします。電話をかけ間違えた、電車で人の足を踏んでしまった、頼まれていた食材を買い忘れたといった謝れば済むような軽微なことから、車の運転操作を間違えて事故を起こしてしまった、階段から落ちたなど深刻な結果を引き起こすことまで、程度は様々です。しかし結果の差こそあれ、きっかけは些細なことです。スマホを見ながら歩いていて電柱にぶつかるのか、スマホを見ていて前の車に突っ込むのか。どちらのミスも原因は前方不注意というちょっとしたことです。

ミスは英語のmistakeの略語ですが、日本語では「し損なう」という意味です。何かを試みてし損ねたとき、ミスと言います。ミスには様々な原因があります。

・不注意…動作や対象に集中していなかった
例:爪を切ろうとしてよそ見して指を切った、切手を貼る場所を間違えた

・見落とし…「不注意」や「思い込み」によって見落とした
例:印刷した原稿に誤字があった、一方通行の標識を見落として進入した

・身体的な原因
例:寝不足でよろけて転んだ、ナレーションを「噛んだ」

・精神的な原因…過度のプレッシャー、ストレス
例:コンサートの大事なソロで落ちた

・物理的な原因
例:靴紐に足を捉えて転んだ、道が凍っていて滑って転んだ

・物忘れ、思い違い、思い込み
例:人の名前を呼び間違えた、店に帽子を忘れてしまった

ミスの特徴は、それ自体に評価の余地がないということです。ミス自体に「良かった」も「悪かった」もなく、ミスは単なる現象でしかありません。そしてミスには必ず結果が続きます。うまくリカバリーできて何も悪影響が無いこともあれば、重大な影響を及ぼすこともあります。

不完全な私達に、ミスをゼロにすることはできません。ではどうしたらミスを減らせるのでしょうか。ミスが起きたときに「今後気をつける」のは対策とは言えません。誰しも体調が悪くなったり、気がかりなことがあって集中力が途切れることがあるからです。

ミスはどうしても起きてしまうのですから、ミスをしたときに自分やミスをした人を過度に叱責しないほうが良いでしょう。プレッシャーから、さらなる大きなミスにつながってしまう恐れもあります。

ミスをしたら素直に認め、ミスをしないように改善する必要があります。To Doリストを作る、確認リストを作る、複数のスタッフでダブルチェックをするなどミスが起こりにくいように仕組みを改善したり、万が一ミスが起きたとしても重大な結果に至らないように予防策を講じましょう。同じミスを連発したり、他の人も自分と同じようなミスをしてしまうのであれば、ミスを誘発しやすい状況や環境がないか調べてみましょう。

失敗について


失敗とは、何かをしようと試みて不本意な結果に終わることを言います。例えばプロポーズしたが断られた、試験や面接で落とされた、起業したが借金を積み重ねただけだった、といったことです。失敗の原因は自分だけとは限りません。悪天候、パートナーの裏切りや景気の悪化など、自分ではどうしようもないことが原因になることもあります。

失敗は誰にとっても避けたい心を痛める経験です。しかし失敗とは「自分の判断」でしかありません。人の命に関わることでなければ、出来事そのものに良いも悪いもありません。

たとえば破局に終わった恋は「失敗」でしょうか? 恋をしなければ人生で最高に幸せな時間も無く、次の恋で自分にぴったりな人に出会うことも無かったかもしれません。事業が破綻しても、そこで得た経験や人脈を元に、さらに魅力的な事業ができるかもしれません。
私の友人には、バイクで運転ミスをして下半身不随になり人生に絶望したものの、入院先で今の奥様と出会ったという人がいます。彼はそれでも事故をしなかったほうが良かったと言うでしょうか。ええ、言うかもしれません。しかしそれは彼自身が判断することです。

区別すべきことは、ミスは客観的な事実だが、失敗は主観的な判断である、ということです!

失敗には様々な原因があります。

・ミス
例:大事な局面でオウンゴールを決めてしまった

・無知
例:ワニを飼うのがこんなに大変だとは思わなかった!

・未経験
例:人生で初めて乗馬をして、落ちて骨折をした

・実力不足
例:1000人収容のコンサートホールを予約したが、集まったのは20人だった

・無謀な挑戦
例:ラーメン屋1店舗で成功したので一気に10店舗に広げた

・計画不足や準備不足
例:試験1週間前なのに勉強が間に合わない

「人生に失敗はつきもの」「失敗は成功のもと」とは良く言ったものです。失敗したのは、あなたが挑戦したからです。上のすべての例に共通するのも、すべて挑戦したということです。挑戦しなければ失敗することもありません。しかしそこに待っているのは、成長も成功もない人生です。

私達は人生を1回しか生きることができないため、何事も未経験です。失敗は当たり前なのです。あなたが初めて歩いた日、初めて自転車に乗れた日……。それまでに何度も痛い失敗をしてきたはずです。
失敗したことにクヨクヨしてその後の人生を過ごすのか、失敗をバネに自分を高めて再挑戦するのか。そこで成功するかどうかの違いが生まれます。「私の辞書に失敗などない、すべては人生経験だ」と思うメンタルの強さを持てば、何も恐れるものはありません。

過ちを犯すことについて

最後に過ちを犯すことについて考えましょう。警察官がストーカー行為をする、高校生がいじめをする、会社経営者が脱税する、芸能人が不倫をする……このように、法律違反をしたり、社会通念・倫理・常識的に良くないとされる行為を行うことを「過ちを犯す」と言います。不正といっても良いでしょう。過ちを犯してそれが見つかった場合、批判されたり訴訟を起こされたり処罰されたりと、社会的な制裁を受けます。

これらの行為の特徴は、本人が「悪いと分かっていながら」やめることができず、半ば確信を持って行っているということです。明るみに出た時点で本人も何がいけなかったのか自覚をしているはずです。

過ちを犯す原因は以下があります

・慢心 …自分なら大丈夫

・低い道徳心 … バレなければ大丈夫

・過度な欲求 … 身体が欲しているからやめられない

・無知蒙昧 … 飲食費は接待費で経費にできる

・自制心の無さ … やられたらやりかえせ!

・想像力の無さ … このくらいやっても問題ないだろう

原因は端的に言って人間性が低く未熟だということです。そのため若い頃は過ちを犯しやすいのですが、何度も痛い目に遭うことで自制ができるようになります。しかし年齢だけが理由ではありません。難しい国家試験に受かっても、教師や国税局の職員でも過ちを犯して毎日のようにニュースに取り上げられています。

過ちを犯さないためには、とにかく人間性を高めるということです。学ばない人間には、同じような過ちを何度も繰り返してしまうというハードモードな人生が待っています。

まとめ

ミス、失敗、過ちを犯すことについて整理してみました。私は音楽家なので私がコンサートをすることを例にすると、ミスとは演奏をミスをしたり、必要な楽器を忘れて行ってしまうことです。失敗とは、集客が全然できず共演者や会場に迷惑をかけることや、実力以上の難しい曲に挑戦してボロボロの演奏をしてしまうことです。過ちを犯すとは、失敗を共演者や会場やお客様のせいにしたり、コンサートの売上をごまかして共演者に少なく支払うことです。

ミス、失敗、過ちの結果として、失うものがあります。それはお金、健康、地位や職位、メンツ、人間関係、チャンス……など様々です。しかし生命でなければ、どれも取り返せるものばかりです。だからミスや失敗や過ちを悔やむあまり自殺してしまうというのは、あまりにももったいないのです。

誰しもミスや失敗はしたくないものですが、共通しているのは、「ミス、失敗、過ちを犯すこと」の全てに学びがあり、学ばないと繰り返すということです。ミスや失敗のたびに原因を分析し、成長の糧にすべく改善を重ねていけば、物事は最終的にうまく運ぶと信じています。