山笑海笑

神奈川県西部在住。丹沢や大磯丘陵を歩いて、風景を楽しみ動植物を愛でるのが好きです。今は仕事で尾張の国におりますが、週末は郊外に出て山野を歩き回っています。

短い秋はどこか香ばしい【東濃・南飛の旅 前編】

厳しい残暑がようやく納まったのは10月も末でしたか。旅心に誘われて岐阜県の東美濃(東濃)から南飛騨(南飛)方面にドライブ旅行をしてきました。あわよくば史跡巡りと温泉、山にも登ってしまおうと欲張りプランです。

香ばしい珈琲と廃線の痕跡

おなじみ中央道中津川ICから付知川沿いに裏木曽街道R257を北上、ちょうどひと月前、木曽越古道を歩いて渡合温泉に訪れた際、起点とした加子母までは同じ道中です。

途中、旧付知町の古民家カフェ青空屋でパスタランチをいただきました。食べ終わってコーヒーを追加します☕待つ間、店の裏山を何気なく眺めていると山際に沿って通ずる一本道が…ん?コーヒーとは違う何やら香ばしい匂いがします。

こ、これは鉄道のプラットホームではありませんか?!

マスターに尋ねてみれば、かつて中津川から旧付知町の下付知を結んでいた恵那電こと北恵那鉄道の稲荷橋駅の遺構だそうです。終点の下付知の一つ手前の駅になりますが、その名のとおり、プラットホームへの導入はお稲荷さんの参道からスロープになっています。お稲荷さん側から見下ろしてみると、ホーム上で電車を待つセーラー服姿の女子高生が見えたような気がしました。(←ヤバイね)🦊

宿こそとっていましたが、あてもない旅らしい素敵な発見でスタートを切れました♪

YMOもワイも加子母が好き

更に北上して加子母集落に入りました。前回は時間が無く立ち寄れなかった加子母明治座に立ち寄ります。かつて、東濃地方では、郷土芸能として歌舞伎が盛んに行われていましたが、明治座もそのひとつで、明治27年に加子母の有志が資金を出し合って建てられ、それ以降約130年もの間、地元の人たちに守られてきたそうです。ちなみに明治27年は、日清戦争が勃発した年であり、演目「海陸連勝日章旗」やら軍国美談なんてのがこけら落としになったのでしょうか(笑)

例のごとく、入口でモジモジしていると出入りしているおじさんが「場内を見ていきますか?」

1、2階の観客席から始まり、花道、舞台上を経て舞台裏へ。楽屋から舞台の下、更には奈落の底まで…観客席の格付けや、楽屋に残された故中村勘三郎ほか梨園の関係者や各界の著名人のサイン、奈落から幽霊が登場する場面など、それは丁寧に案内していただきました。

楽屋の板壁に記されたそうそうたる名の中に今年亡くなった坂本龍一さんのサインを見つけました。坂本さんは生前、森林保護活動に熱心で、加子母森林組合とも繋がりがあったそうです。そして、加子母を終の棲家に考えていたそうです。結果として実現はしませんでしたが、坂本さんの加子母への思いが伝わってきました。

聞けば、訪れた日の翌々日10月29日(日)は加子母歌舞伎の上演日だそうで、その準備に追われているそうです。いやぁ、そんなタイミングで訪れた珍客にいやな顔一つせずご案内いただいたことに、只々感謝しかありません。これは是非歌舞伎も観て帰りたくなりました。風任せの旅にとっては、スケジュールを入れることはマイナス要素なのですが、それ以上に価値のあるものだと思った次第です。

奇祭「なめくじ祭り」

加子母集落の北部にある大杉地蔵尊に立ち寄りました。樹齢1千年以上といわれる杉の大樹が立派ですが、なんと、この場所は、源頼朝に父義朝の髑髏を突き付けて平家打倒の挙兵を促したといわれるあの文覚上人が入滅した地でもあるそうです。(諸説あり)

話は色々ですが、文覚は出家以前、院を警護する北面の武士でした。ところが、友人の妻袈裟御前に横恋慕してしまい、あろうことか友人の殺害を目論みました。それを知り、夫の身代わりとなった御前を文覚は殺めてしまい、その罪を償うために出家したそうです。御前の命日である旧暦7月9日(8月中旬)の夜、化身となった多数のナメクジが文覚の墓に這い上がり、夜明けとともに姿を消すといわれ、土地の人はその日に奇祭「なめくじ祭り」を催して御前と文覚の霊を慰めてきました。

祭りでは、ナメクジにちなんだくじ=抽選大会が行われ、好評を博しているようです。害虫として忌み嫌われるナメクジが地域の祭事になっていることが、実にほほえましく思えました🐌

文覚の涙かなめくじ御前の祟りか、折から山間に黒雲が湧き雷鳴が轟きました。慌てて車に退避。そのまま出発しました。

暖簾を下ろすシュワシュワ温泉

季節外れの雷雨の中、舞台峠を越えて飛騨へ入国。更に飛騨川沿いに益田街道を北上して、下呂温泉…には立ち寄ることもなく通過(笑)更に街道を北上して、下呂市北部の飛騨小坂に入りました。小坂から益田街道を離れて、飛騨川支流の小坂川沿いに東進。更にキャンプ場がある落合という所で小坂川は小黒、濁河、大洞の3本の流れに分かれます。

この内の真ん中、木曽御嶽山の北西から流れ落ちる濁河川沿いに少し東進して、濁河、湯屋と並ぶ下呂小坂三湯のひとつ下島温泉にやって来ました。投宿したのは下島温泉朝六荘。濁河川沿いにある古くて小さな温泉宿です。幸い雷雨も上がって、ひんやりと少し肌寒い夕方、古美術商の店先のような薄暗い玄関に立つと、これまた骨董…もとい、ご年配のご主人が温かく出迎えてくれました。嬉しいことに?この日は貸し切りでした(ご主人には申し訳ないのですが…笑)

通されたのは濁河川を見下ろす和室です。寒かったのですが、窓を開けて川のせせらぎに耳を傾けます。すると、ヤマセミが2羽じゃれ合ってアクロバット飛行をしていました。いつもであれば慌ててカメラを向けるのですが、不思議とそんな気にはならず、山間の清流に生き生きと舞うヤマセミの姿を眺めるばかりでした。

部屋の次はお風呂に案内していただきました。お風呂には下島温泉を引湯、シュワシュワのソーダ泉で、飲泉もできます。入り口に「女湯」の表示が気になりましたが、まあ今宵は自分一人なんだし、気にしない、気にしない。浴槽にどっぷり浸かるとあ~幸せ🎶湯煙の中にご婦人の後ろ姿を見た気がしました。当に霊泉、極まれり(←これもヤバい)

朝六荘は繁忙時は応援を頼むそうですが、通常はご年配のご主人がお一人で切り盛りしているそうです。夕餉は部屋食も可能でしたが、ご年配のご主人に2階の部屋までに配膳してもらうのは申し訳ない。厨房に近い食堂にしてもらいました。イワナのお造り、塩焼き、高野豆腐、山菜の天ぷら…それに飛騨牛の朴葉焼きです。あービール飲みたい…けど、ご主人おススメの高山の地酒「蓬莱」をいただきました🍶

ほろ酔い加減でお話好きのご主人と暫しの談笑。地域の話、宿の昔話、お客さんの話、旅館を継ぐ前の若い頃の話、渓流釣りの話、車の話(ご主人は往年の名車アルシオーネSVXに乗っていたとか)…

意外に盛り上がったのが地元の考古学と源頼朝の弟範頼にまつわる歴史の話。なんでも、小坂周辺は石器やら土器が大量に出土するそうで、弟さんは考古学の道に進まれているそうです。また、源範頼に関係する家系のようで、私が相模三浦一族の末裔で云々かんぬん話すと話は更にヒートアップ!たいそう喜んでいただきました。

ぜひ部屋で読んで欲しいと、源平やらご当地小坂の郷土史、昔話の本を持たせてくれましたが…今宵ハイササカ酩酊シテオリマス…オヤスミナサイ🌕

最後に、ご主人が先代から引き継いで長らく切り盛りされてきた朝六荘。この11月30日をもって70年の歴史(たしか…)に幕を閉じることになるそうです。ご主人曰く、「もう体力の限界」だそうです。夕餉の席でも語られていましたが、長い営みを振り返ると当に「喜びも悲しみも幾年月」長年お疲れさまでした。

ちなみに渓流釣りの常連さんたちから、閉館後も素泊まりでもいいから引き続き部屋を提供して欲しいと懇願されているそうです。ワタクシもまた近くに行ったら立ち寄らせていただきます。多分行きますよ( ̄▽ ̄)

今回もご笑覧いただきまして、ありがとうございました。