山笑海笑

神奈川県西部在住。丹沢や大磯丘陵を歩いて、風景を楽しみ動植物を愛でるのが好きです。今は仕事で尾張の国におりますが、週末は郊外に出て山野を歩き回っています。

ゆきゆきて奥三河その1【鳳来峡編】

多くの動植物と同様に、冬は活性が下がるワタクシ。ウインタースポーツに縁遠く、雪山もすき好んで歩こうとは思いません。動力源の車もスタッドレスタイヤを所有していないので、冬になると自ずと降雪地に出かけることが無くなります。神奈川にいるときも自宅からドライブ1時間圏の山中湖や芦ノ湖にすら行くことがなく、名古屋にいる今シーズンは、岐阜や長野へ足が向かなくなり、降雪率の低い愛知県の東部奥三河にターゲットを絞っています。

有名な山こそないものの、低い山が深く連なる奥三河は、国土地理院の地形図を頼りにあてもなく逍遥するワタクシの山行スタイルにぴったりなのです。すっかりこの山域の虜になったワタクシ。昨年から何度も足を運んでいます。その中でも年明け以降、ほぼ隔週で訪れているのが新城市設楽町です。

神宿る地設楽

「設楽」とは難読地名のひとつで「したら」と呼びますが、濁って「しだら」と呼ぶ場合があります。その語源といえば、人々が日々の営みの中で常に神の存在を意識していた時代、農村の営みの中から起こった五穀豊穣、病魔退散をつかさどる神、設楽神への信仰に由来するといわれています。ちなみに、設楽は「志多羅」とか「志多良」と記録される場合があります。平安時代には、志多羅神を祭る神輿を立てて、民衆が歌舞演芸を奉納しながら都へ上った、後の「ええじゃないか」の様な信仰があったことが伝えられています。

そんな設楽神に所縁のある地域として名づいた設楽なのでしょう。設楽も含めた奥三河には、夜通し神楽が演舞される花祭りや田楽、歌舞伎などの演芸が今に伝えられています。

そういやぁ、歴史上、この設楽を一躍有名にした事件があります。天正3年(1575年)5月、甲斐・信濃から奥三河に侵攻を繰り返していた武田勝頼と徳川家康と織田信長の連合軍が戦った大合戦で、一般的に長篠の戦いと呼ばれる合戦です。この長篠の戦いは、武田軍が現在の新城市の長篠城を攻囲した長篠城包囲戦と長篠城の後詰めに来援した織田・徳川連合軍と武田軍が戦った設楽原の戦いの総称です。言わずもがな、設楽原の戦いでは、織田信長が用いた三段構えの鉄砲戦術により戦国最強といわれた武田騎馬軍を完膚なきまでに撃破した戦いとして、日本史上、戦争のスタイルが騎馬戦術から鉄砲戦術に転換した、歴史の転換点「そのとき」としてあまりにも有名です。歴史をかじった人ならば、設楽町は知らなくても設楽原という名を聞いたことがあると思います。設楽原での織田・徳川VS武田の決戦のイメージが強い長篠の合戦ですが、そもそもは奥三河の小勢力を味方につけたり裏切られたり…小さな城を取ったり取られたり…陣取り合戦の色合いが強いんです。これは追々紹介しますのでお楽しみに。

早春の小さな花探し

さて、ワタクシの奥三河侵攻作戦です(笑)頃は節分。例によって、ズベノー作戦(母機搭載機計画)で名古屋から飯田線沿線の湯谷温泉の駐車場にやって来ました。先ずは、豊川の支流宇連川沿いに国道R151を10分ほど北上して梅の里名号の石雲寺へ。石雲寺は宇連川の渓谷に建つ小さなお寺で、創建は室町時代後期の永禄年間にまで遡ります。暦の上では立春とはいえ奥三河の朝は極寒の陽気で、境内は霜で真っ白です。その霜の降りた境内の梅林に目を凝らすと木の根元に小さな白い花が咲いでいます。この小さな花をセツブンソウといい、その名のとおり、節分の時期に植物に先駆けて花を咲かせます。実は石雲寺はセツブンソウの名所で、私の他にも多くのカメラマンが花をお目当てに早朝から訪れていました。

続いては名号から少し湯谷温泉方面に戻った湯谷園地を訪れました。この付近の宇連川は川底が平らで板を敷き詰めたように見えることから板敷川渓谷と呼ばれています。川には多くの釣り人が糸を垂れています…ん?2月って禁漁じゃないの!いえいえ、3月1日が渓流釣りの解禁となる神奈川県民としては違和感ありありの光景ですが、豊川水系では2月上旬に解禁されるそうです。

湯谷園地を訪れたのは、前述の石雲寺の境内でお花見ツアーのグループが「園地にセリバオウレンが咲いています」と言っていたのを聞いたからです。図々しくグループの先回りをして、そのセリバオウレンとやらを見てやろうという訳です。しかし、このセリバオウレンがなかなか見つかりません。見つけたのは河原の焚火跡やら恥ずかしげもなく立ち小〇をする釣り人の姿です。トイレまで行くのが面倒なのはわかりますが、恥じらいってものを失ったら鳥獣と同じですよ。鳥獣に失礼かな(笑)それに地面の直火は植生や土壌にダメージを与えますからご法度です。不快なものばかりが目に付く中で、川土手にカメラを向ける人の姿を見つけました。初めて訪れる場所では、野鳥や花を探してもすぐに見つけられない場合が多いのですが、周囲に人がいればその人たちの様子を観察していると見つけられることが多いです。時として嫌がられることもありますけどね(笑)

カメラマンが他へ移動した後を丹念に観察してみると…こ、これか。小さな小さな、スミレの花よりも更に小さなコセリバオウレンの花を見つけることができました。確かに葉っぱがセリの葉のように細かく切れ込んでいます。釣り人の用足しの姿もすっかり忘れて土手に身をかがめて接写を試みました。春を待ちわびるのは人の心情。霜の中から花を咲かせるこれら小さな花から一年の花暦が始まります。

おもひでの宇連川上流

さて、この後、R151を更に南下して長篠城付近の史跡や里山を散策しましたが、それはひとまず置いておいて、宇連川流域の景色をまとめてご紹介したいと思います。時点が前後しますがご容赦ください。

奥三河一の温泉地といえば湯谷温泉です。宇連川を挟んで5、6件の温泉宿が軒を連ねています。頃は盛夏、暑さの厳しい陽気でしたが、渓流のせせらぎと川風は何とも涼しげでした。宇連川の低い水温と高い気温の差により生じる川霧が立ち込めていました。そうそう、ワタクシの大好物、鉄分補給も欠かしません。宇連川沿いには豊橋と長野県飯田市を結ぶローカル線のパイオニア(笑)飯田線が通じています。朝、家族に先駆けて床を抜け出して飯田線の線路近くまで散歩しました。しばらく待っていると、線路際に咲くヤマユリの花を揺らせて朝の一番電車が快走していきました。宇連川は新城市の北端に位置する宇連山や三ツ瀬明神山などの設楽山地に端を発しますが、設楽山地は太古の火山活動により誕生し、その後の過度な浸食により宇連川や大島川などの深い渓谷とそそり立つ凝灰岩の岩山が特徴的な奇勝鳳来峡が形成されました。

宇連川の支流のひとつに乳岩川があります。この川沿いの渓谷を乳岩峡といい、その奥にそそり立つ岩山が乳岩です。この乳岩の洞窟に溶け出した石灰分の鍾乳石が垂れ下がっていて、これを乳房に例えたことに由来するそうです。乳岩を周回するコースは1週30分ほど。巨岩に掛けられた垂直の階段をおっかなびっくり登っていくと、巨大な岩の門「通天門」が出現します。見上げる岩塊とその先に垣間見る奥三河のシンボルマウンテン三ツ瀬明神山。圧巻の風景でした。更に通天門をくぐって急な階段を下ってくると鍾乳洞があって、多くの石仏が安置されていました。乳岩峡の散策と乳岩の周回コースの組み合わせは、変化に富んで実に楽しいハイキングコースです。

次回も奥三河の続編をお届けしたいと思っています。

今回もご笑覧いただきまして、ありがとうございました。