4月から神奈川県に帰ってまいりましたので、引き続き古巣の丹沢を歩いてまいります。
丹沢復帰の一発目は、欲を出して最高峰の蛭ヶ岳を考えていました。
とはいえ、ワタクシども県南部の人間が蛭ヶ岳まで歩こうと思った時、秦野市大倉の登山口から丹沢表に取り付いて、先ずは登り一遍の大倉尾根(バカ尾根)を歩いて塔ノ岳に登り、続いて丹沢主稜線を歩いて丹沢山。更に蛭ヶ岳まで歩くことになり、これら主峰以外の小ピークを含めてアップダウンが連続するため、アルプス登山並みのハードな山行になります。
ブランクがあったので、この正攻法はちょっとハードルが高い。そこで目を付けたのが早戸川上流域からのアクセスです。
早戸川って、いったいどこ?
早戸川は、丹沢山地の最高峰蛭ヶ岳や丹沢山の北面に端を発し、宮ヶ瀬湖に流れ込む神奈川県でも屈指の清流です。宮ヶ瀬ダムが完成する以前は、同地で中津川に合流していました。ちなみに中津川は下流の厚木市内で相模川に合流します。
早戸川に沿って通じる林道早戸川線を利用すれば、丹沢主稜線の山懐に車でアクセスすることが可能です。林道の終点から早戸川上流域に入って、尾根筋を上り一編急登すれば、距離はそれほどでもなく丹沢主稜線に上がることが可能で、割と楽?に蛭ヶ岳に至ることができます。
ところが、この早戸川林道、ここ数年ずっと災害の影響で通行止になっていました。令和元年東日本台風で丹沢一帯は大きな被害を受けましたが、早戸川林道の惨状もそりゃあ酷いものでした。法面崩壊、斜面崩落、路面陥没、沢からの土砂流入、倒木、落石…と被災の全部乗せ状態。二度と復旧されることはないのではないか…費用対効果を考えるとそんな思いもありました。
ところが、この早春、SNS界隈から「寝耳に水」の林道復旧の報が。実は、その報をキャッチした時点では名古屋にいたのですが、「渡りに船」で東京召喚。これは早戸川上流へ向かえという神託にちがいありません(笑)
そんなわけで春色の早戸川林道へ
タタンタンタタン…タタンタンタタン…タタンタンタタン…(ターミネーター調)
GWに先駆けた4月下旬。ペケペケDaxを転がして宮ヶ瀬にやってきました。早戸川林道は復旧したとはいえ、許可車以外は車両通行止めとなっていたので、ゲートから歩いて終点まで林道を歩きます。
山笑ふ流域の山々。常緑樹の深い緑。新緑の淡い緑。それに加えて淡い山桜の花が装いに色を添えます。平地に遅れること半月、ちょうど見頃になっていました。
終点近くの本間橋付近に魚止め森の家があります。ここはかつて、丹沢観光センターと呼ばれるキャンプ場でした。水質保全の問題か、林道が度々被災するためか、今は営業を行っていません。闇テンしている人はちょくちょく見かけますが(笑)
舗装路は魚止橋まで。そこから終点の伝道までは、林道とはいえとても車両が入れる状態ではありません。
そんな道こそ野生動物の散歩道。しばらく歩いていると…
あれ?変なヤツがついてくるぞ…とはカモシカくん。しばらく「だるまさんが転んだ」状態が続きましたが、間合いをつめられていることを悟ったか、河原の方へ降りていきました。
更に進んでいくと早戸川林道終点の伝道に至ります。ここで小休止。ふと河原に目をやれば…お分かりいただけただろうか…
かい~の
ここからが山歩き(笑)
伝道からは丹沢主稜線へのアクセスは、早戸川上流域の滝を見ながら行くのも楽しみのひとつです。特に早戸川上流部にある早戸大滝は、「日本の滝100選」に名を連ねているので、かつては観光地として訪れた人もいたでしょうけど、これはちょっくらなことではありません。
早戸川沿いの道は、山腹をトラバースする道。一部は川側が大きく切れ落ちていて、板を渡した桟道のような箇所もある少々スリリングな道です。年々斜面の崩落が進んでいましたが、案の定、通行が不可能になっていました。早戸川の河原から回り込めないかと降りてみたところ、岩が迫り出して遡行は不可能でした。河原で出会った釣り師と話したところ、やはり最近はここから上流に入渓できていないとのことでした。
伝道の造林小屋に戻って小休止。作戦の練り直しです。小屋のベンチに腰かけていると古い木造家屋のカビ臭さが何とも心地よいものです。俗世のしがらみを全て断ち切ってこんな場所で余生を過ごしたいものです。(たぶんミイラ化していると思いますが)早戸川上流からの蛭ヶ岳をあきらめて、造林小屋からすぐにアクセス尾根に取り付ける榛ノ木丸を経て、丹沢主脈線の姫次に向かうことにしました。
ちなみに、丹沢には南北に連なる主脈線と東西に連なる主稜線がありまして、主脈線は塔ノ岳から北へ丹沢山~蛭ヶ岳~姫次~焼山。主稜線は塔ノ岳から丹沢山~蛭ヶ岳~臼ヶ岳~檜洞丸です。主稜線は、「蛭ヶ岳から西…」「檜洞丸から更に西へ大室山…三国峠までを含む」と所説ありますが、私見では、塔ノ岳~蛭ヶ岳までの区間は両方に属するべきだと思いますし、大室山から西は甲相国境尾根と呼ぶべきでしょう。
造林小屋から杣道を歩いて東西に延びる尾根に乗れば、あとは古い動物柵に沿って尾根筋を辿るだけです。こういう古い動物柵は丹沢のいたる所で見かけますが、倒壊したり、破れたり、動物たちに対して何の抑止力にもならないでしょう。逆にここぞという場面で我々杣道愛好家たちの行く手を遮るときがありますから始末の悪いものです(笑)
尾根の南面が自然林の落葉樹、北面が杉や檜の植林帯という植生は、丹沢あるあるです。尾根を上がっていくうち、ブナや馬酔木(あせび)が目立ってきます。馬酔木の花が見頃でしたが、白い房状の花は実にかわいらしいものです。
やがて、尾根道から広々とした榛ノ木丸の山頂部に到達しました。湿地を好むという榛の木とは違うようですが、雑木が広がっていて気持ちの良い場所です。枝先が黄色く色づき始めた木々の先に丹沢三峰が見えていました。若葉が生い茂る頃には見えなくなる風景です。榛ノ木丸の山頂から少し外れた場所から丹沢の最高峰蛭ヶ岳が真正面に望めました。今年も一度は神奈川県の最高所に立ちたいものです。あ、山荘のカレーも食べたい🍛榛ノ木丸から先はアセビなどの低木が生い茂る穏やかな尾根上を歩いていきます。小鳥たちが賑やかに飛び回っていました♬やがて、カラマツが目立ってくると主脈線はもうすぐそこです。
富士山の展望と悲しい伝説の地 姫次
主脈縦走路に出合い、10分ほど歩くと姫次です。姫次は、蛭ヶ岳から北上してきた主脈縦走路が東西に分岐するポイントです。西側の展望が開けて、丹沢の次峰檜洞丸と甲相国境の重鎮大室山の鞍部犬越路の先に春霞のぼんやり富士山を望めました。ベンチが置かれていて、富士山を眺めながら蛭ヶ岳を越えてきた疲れを癒す人が多いようです。
ところで、この「姫次」(ひめつぎ、ひめつぐ)という地名ですが、悲しい由来をご紹介します。天正10年(1582年)3月、織田・徳川連合軍によって甲斐武田氏が滅ぼされた際、武田の重臣で郡内(今の山梨県東部)を治めた小山田氏の縁者たちが東を目指して落ち延びたそうです。
その中で、折花姫という姫君が、この地で自らを短刀で突いて自害したとも、追っ手により突き落とされたともいわれています。短刀で自らを突くor突き落とされる⇒姫突き⇒ひめつぎ⇒「姫次」と変化したといわれています。
そんな折花姫の秘話を偲んで一首「甲斐姫が茗荷芽吹くを待たずして 振り向く富士にため息をつき」 ※茗荷(みょうが)は小山田家の家紋
甲斐姫とは言わずもがな折花姫のこと。姫一行が小山田家の再興を夢見て稜線を越えようとしたとき、ふと振り返えると故郷の山、富士山が。しかし、富士山と共に姫の目に映ったのは、迫りくる追手の姿だったのかもしれません。
さて、下山は足早に行きましょうか(笑)
縦走路から早戸川左岸、奥野林道の終点に位置する大平に下って、下半身を濡らしながら早戸川の流れを渡渉して早戸川林道を撤退していきました。Daxで家路につく際、濡れた下半身が身に応えました。
相も変らぬ尻切れトンボで大変恐縮ですが、今宵はここまでにしとうございます🔶
この山行の後も既に丹沢ばかり何度か歩いているのですが、最近は仕事が忙しく、帰宅しても疲れて寝落ちしていることも多いので、どうしてもブログが疎かになりがちです。それでも頑張って丹沢の四季をお届けしていきたいと思いますので、引き続きよろしくお願いいたします。
今回もご笑覧いただきまして、ありがとうございました。