「水入らず」という言葉は酒の席での作法に由来する説がある。
他人に盃を渡す時には水で洗ってから渡す「盃洗(はいせん)」という風習が昔はあったようだが、この盃洗をしなくてもいい親しい関係を「水入らず」という。
盃洗のような粋な風習は「楽しむ」というよりは「愉しむ」という言葉で表現したくなる。
先日、菊水酒造さんの敷地内にある「日本酒文化研究所」にお邪魔をしたとき、求めていた愉しみ方がそこにはあった。それは既に先人が行っていた”コト”だった。
物質主義・大量消費社会に入り、短期的で直接的な楽しさを求め、思考の介在しない楽しみ求めた。それと関連してもともと日本の文化としてあった粋な愉しみ少なくなっていたかのように思う。以前にも書いたが物はそれ単体に価値があるのではなく存在の仕方次第なので、先に話した「盃洗」という風習のように、どのように愉しむかという”コト”がやはり大事なんだろう。
何事も掘り下げると人生はより豊かになる。日本酒文化研究所を菊水酒造の長谷川さんと西村さんにご案内頂き、この体験を僕らの世代の人にも愉しんでもらえたらと、今一度なんらかの形で蘇らせたいという気持ちが湧いた。新しい発見やアイデアに飢えて日々過ごしているが、過去を知るとそこに素晴らしい答えが待っているかもしれない。