金沢発信☆山田元一

金沢を中心とした北陸で、企業コンサルと金沢市の農水産物ブランドのコーディネイターをしています。以前は広告出版業『金沢倶楽部』の社長でした。金沢に住んで半世紀、変化の激しいこの街から見える様々な事柄を発信して行こうと思います。個人的な趣味ではありますが、ときどき書評や音楽評を投稿する時もあります。

初めまして、金沢発信です。

私は18歳の時、大学進学で金沢にやってきて、それから50年ほどこの街に住んでいます。以前は会社を経営していましたが、現在は企業コンサルタントと金沢市の農水産物ブランドのコーディネイターを兼業するフリーランサーです。

『菊水酒造』さんのブログマガジン『BREW』からお声掛けいただき、金沢発信と称して参加することになりました。よろしくお願いします。

金沢のホテルベッド数は名古屋とほぼ同数

私の住処である金沢は北陸新幹線金沢開業以降、観光都市としての機能と性格を強め、街の風景が大きく変わりました。次々とホテルが建ち、ベッド数は名古屋市並みに1万を越え、インバウンドの波がどっと押し寄せています。

市民もそれを受け入れているようですが、観光客の方々がイメージする外側からの金沢と、市民が思うところの内側からの金沢がずれ始めているのも現実です。それは、どのようなずれなのか、そして、それはどこから生じているのか、そんなことを考えていくうちに、金沢という街の日本における位置を漠然と知ることができました。

このブログでは主としてそのような現実に関連することを書いて行こうと思います。

観光ガイドには載っていない場所やお店も

それとの関係で、普通の観光ガイドには載っていない、市民消費者が楽しんでいるお店や場所をご紹介することもあると思います。

北陸新幹線が金沢につながった2015年に、私は、石川県庁の「新幹線開業PR検討会」という審議会で委員をつとめていて、新幹線と言うビジネスモデルへの理解や基礎的なデータの閲覧などができ、先進他県に視察も行き、金沢が大きく変貌する予感とおぼろげな予想を抱いてました。

その時の予感は当たりましたが、予想は違ったことがいくつかあります。

例えば、これだけ多くのインバウンドの波が来たこと。金沢は主として欧米人と台湾人が多く、韓国や中国本土の人たちはごく少ないのが他の観光都市とかなり異なる点ですが、その理由もいずれこのブログで明らかにしていきます。さらに例えば、「金沢カレー」とか「金沢おでん」のように昔からこの街にある庶民的な食べ物が今や行列につかないと食べれないということなど、やや異常な現象もその背景とともにお伝えしようと思います。

金沢から日本の地方都市を考えてみたい

また、そのような金沢独自の背景の説明にふれて、地方都市が抱える共通した課題、例えば、人口減少経済社会とか、賃金の都会との差とか、そういう社会的に大きな事柄に言及する場合もあるかも知れません。

今年は年初に能登地震が発生し、私も1月にボランティアで輪島市におもむきましたが、今でも元日に倒壊した家屋がそのままの状態です。でも、能登輪島と金沢との距離は、銀座から日光までの距離とほぼ同じで、金沢は震災の物理的・経済的影響が殆どないというのも現実です。

このあたりの事情にも言及する場面があるでしょう。

さらに、時として、書評やレポート評なども記載することもあるかと思います。よろしくお願いします。

金沢市寺町台地より市内中心部を眺める。