こんにちは! ケルトの笛奏者で、ケルト音楽専門の楽器店「ケルトの笛屋さん」を経営しているhataoです。この連載では、スモールビジネスを営む私が起業やビジネスについてアイデアと経験をみなさんとシェアします。
前回の記事では、私の韓国での音楽活動についてご紹介しました。音楽家としての私とは異なるもうひとつの側面、経営者として韓国で描いた夢と失敗についてご紹介します。
韓国への輸出ビジネス
ヨーロッパ伝統楽器の輸入業を営む弊社ですが、ゆくゆくは海外展開をしていきたいと考えていました。アジアの中では、日本は最もヨーロッパ伝統音楽が盛んな国で、特にアイルランド音楽は非常に人気があります。弊社はその人気の高まりとともに成長をしてきました。しかし一方で、今後我が国の人口は減少することが確定しており、国内向けのあらゆる事業は、縮小し続ける市場の奪い合いになる可能性があります。
また、大幅な円安になった場合、輸入業は仕入れ原価が高騰し不利になることは明らかです(その不安は昨年からの為替の大暴落で実現してしまったのですが……)。そのため、早い時期から輸出業や海外での販売も視野に入れていました。
そんなおり2017年頃から韓国との繋がりができはじめ、私が韓国に行ってレッスンやコンサートをしたり、韓国の音楽教室を経営するDさんがその生徒さんに弊社の楽器を紹介してくれたりと、韓国での仕事が作れそうな兆しが見えてきました。
当初はDさんからの注文が入るごとに商品をEMSで送っていましたが、それでは送料が高くつくので、売れそうな商品をまとめて送り、販売した分を後払いで送金してもらうという委託販売の手法を取りました。
2018年には弊社の実店舗の第一号店として京都店が開業、その翌年の2019年、弊社の韓国支店が誕生しました。支店といっても、Dさんの経営する音楽教室の棚をひとつ借りて、弊社の商品を陳列するだけの簡単なものです。そんな小さなお店でも、韓国人の友人たちが開幕式を開いて歌を歌ってお祝いしてくれました。
音楽教室は生徒さん以外には立ち入りできないため、一般のお客様は予約して来店する形でした。Dさんが私にLINEで商品を発注し、お互いがアクセスできるDrop Boxにエクセルで在庫リストを作って管理しました。在庫リストには品名、数量、販売額、Dさんへの販売手数料が一覧になっており、Dさんが売れた商品をLINEで報告すると、私がその商品の販売数をつけ、そうするとDさんが預かっている金額の合計が一番上にわかりやすく表示されるようになっています。
間違いが起きないように、私だけが編集できるようにしました。Dさんにはおよそ15%の販売手数料を支払いました。韓国で法人を設立したわけではないので、弊社では通常の輸出業務として販売額だけ税の申告をしました。こうして弊社の韓国事業がスタートしました。
コロナ禍が発生、往来が途絶えて…
韓国支店は、当初は順調に売り上げを伸ばしていました。日本円で5〜10万円程度の高額な楽器が良く売れて、また韓国語のテキストもたびたび注文が入りました。送金はMOINという韓国の送金サービスを利用しました。
状況が変化したのが2020年のコロナ禍からです。当分韓国へ行くことができなくなり、Dさんの音楽教室が一時的に閉鎖。商品がまったく動かなくなりました。これは誰の責任でもなく仕方のないことで、またコロナ禍が治れば状況は改善するだろうとおおらかに構えていました。ところが、コロナ禍は一向におさまる気配がありません。2021年を終えて、コロナ禍から丸2年経った頃、私は商品を引き上げて韓国支店を清算する決断をしました。当時、委託していた合計金額は100万円以上、また、預けていた売上金も100万円以上ありました。
商品は戻るがお金は戻らない
商品を戻すように依頼すると、在庫表のリスト通りにすぐに郵送されてきました。ところが、売上金がいつまで待っても振り込まれません。状況を尋ねると、もう少し待つように、と言われました。こういったやりとりが数ヶ月にわたり続きました。私はだんだん事態は思っていたよりも深刻なのではないかと不安になり始め、これ以上遅れるようであれば日本の代理弁護士を通じて韓国の裁判所に訴状を出すので覚悟するようにと通告しました。私は、このトラブルは最終局面に入ったと感じました。
この段階になって、Dさんから打ち明けられました。コロナ禍で音楽収入が激減し、教室や家族への支払いもあって売上金に手をつけてしまったと。私は大きなショックを受けました。とてもそのようなことをする人ではないと信じていたからです。そして、こういった過ちを犯してしまえば、私との関係はもう修復できないことは分かっていただろうと思ったからです。
しかし、私はお金のことは絶対に諦める人間ではありません。今は行き来ができなくても、絶対に全額を取り戻すまでは根気強くやりとりを続けるつもりでした。
Dさんはとても申し訳なさそうに、利子をつけて全額返すとは書いてきました。私は、利子は良いから少額でも良いので毎月少しずつ返済するようにと言いました。それから毎月5万円程度ずつ、返済が始まりました。その支払いはたびたび滞り、私をいらつかせました。それでも根気強く連絡を取り続けました。
すべての支払いを受け取ったのは昨年23年のことです。このときは、すでに私の中では怒りの気持ちは収まり、最後まで返済を続けた彼が他人のお金に手をつけるなどとは、よほどの事情があったのだろうと同情の気持ちすら持つようになっていました。
再びスタート地点に
24年6月、私は5年ぶりに韓国を訪れました。Dさんは何事もなかったかのように振る舞っていましたが、私の方にも一切のわだかまりはありませんでした。今回もまた以前のように献身的に私の世話を焼いて、たくさん食事をおごってくれて、以前と同じ交流が再開しました。来年にはお互いに音楽家として、ソウルで大きなコンサートも計画しています。
私としては失敗しようがないと見込んでいた海外進出ですが、甘い見通しで痛い目を見てしまいました。今、再び韓国への楽器の販売が少しずつ再開しています。今後は、失敗の経験を糧に、もっと確実に歩んでいきたいと考えています。