史佳

新潟出身の三味線プレイヤー。9歳より津軽三味線の師匠であり母でもある高橋竹育より三味線を習い始め 2000年よりプロ活動をスタート。新潟を拠点に国内外で演奏活動を行ってきた。古典を大切なベースとしながらも、伝統芸能の枠を超えた新しいニッポンの音楽を目指し、現在、ニューヨークを拠点に移し三味線芸術の新しい境地を開拓している。 YouTube公式チャンネル :https://www.youtube.com/channel/UCDcEsCsEsKHs6Oyv-i83Nfw

異国ポーランドにて、三味線の種をまく

6月21日、ポーランド・ヴロツワフ市にあるポーランド日本親善友好財団「波」に、この度三味線演奏と三味線ワークショップのミッションで訪問した。
この施設で2年ほどポーランド人に日本語を教えている方とのご縁がきっかけだ。
この方も、夏には、任期を終えて日本に帰国されるということで、今回の三味線イベントを大成功させたいと意気込んでいた。
渡航前に、何度もオンラインで打ち合わせを行い、どのようなプログラムにするか練った。
その結果、三味線のルーツとも言える沖縄三線演奏を組み込むことで、一連の三味線文化伝来を表現することにした。

また、他国のコンサートで、必ず準備する曲がある。
それは国歌である。
ポーランド国歌(ドンブロフスキのマズルカ)は、不撓不屈の精神と団結力を表現したもので、まさにポーランドの歴史そのものと言っていいだろう。
その勇ましい旋律は稽古中でも血がたぎるようであった。

さて、いよいよ本番。
「波」にある屋外施設にはウッドデッキの立派なステージがあり、周りは日本の石庭のような造作が施されていた。
三線と三味線によるプログラムは、音色、弾き方など対照的で、非常に好感触であった。
『さくら』〜『ポーランド国歌』も、大変喜ばれた。
国歌の演奏になると、観客はスッと立ち上がり、ポーランドの精神を大切に受け継いでいることがわかった。
最後の『津軽じょんから節』を弾き終えると、拍手喝采が沸き起こり、大成功であった。

そして、今回私は、もう一つのミッションを持っていた。
それは、ここヴロツワフの地に三味線を根付かせたいという想いであった。
そこで、大津琴三絃さんにその旨をお伝えしたところ、三味線寄贈のお話を快く引き受けてくれた。
「波」の代表者に、ステージ上で、無事三味線が寄贈された。尺八や太鼓、篠笛は施設にあったが、三味線はなかったので、本当に感謝された。

翌日は、寄贈した三味線を使ってのワークショップが開催された。
参加したポーランド人の若者は、目を輝かせながら、三味線を触っていた。
順番を待つポーランド人も、自分の順番に備え、指を動かして、習っている人の所作を真似していた。
その姿は、愛らしく、こちらも心がほっこりした。

私も、フランス・パリやアメリカ・ニューヨークで大きなステージに挑戦してきた。
それは華やかで素晴らしい財産となっている。
一方で、このように三味線の文化を、他国で根付かせていくことは、非常に大きな使命であると感じている。
日本が大好きで、一生懸命日本のことを勉強しているポーランド人と触れ合えたことに感謝したい。
熱い思いをグッと胸に秘めながら、生活しているポーランド人の精神性は、新潟の県民性と重なるところがあった。
すごく、好きな国になったし、また、訪れたいと思う。

今回、ヴロツワフに三味線の種を蒔くことができた。
やがて、芽が生えて、ポーランド中に三味線文化の花が咲く日を願っている。