アジアハンター・小林

東京都出身。インド・ネパールの食器や調理器具を輸入販売している有限会社アジアハンター代表。商売を通じて、インド亜大陸出身飲食店業者と深く関わる。近年は食に関する執筆活動もしており、既刊に『日本の中のインド亜大陸食紀行』(阿佐ヶ谷書院)、『食べ歩くインド』(旅行人)がある。 

インド料理の世界

インド食器屋という奇妙な商売

はじめまして。この度、こちらのBREWでブログを書かせていただくことになりました有限会社アジアハンター代表、小林と申します。

業務は主にインドから食器や調理器具を輸入し、ここ数年国内で増えつつあるインド料理店様に卸したり、個人でインド料理を作ったりするようなマニアックなお客様へと小売りをさせていただいています。

インド食器などという、非常にニッチな商品ではありますが、コロナ前までは年々増加していたインド人やネパール人の経営者、またコロナ禍以降は巣ごもりで凝ったスパイス料理に目覚める方への販売と、意外な需要でどうにか生計を立てています。

さて、こんなインド食器屋などという奇妙な商売を、一体なぜはじめるに至ったのか。今回はご挨拶代わりにその経緯をお話しすることにいたします。

インドとの関わり

そもそもインドと関わるきっかけは、今から約30年前、20歳の頃にさかのぼります。初めての海外旅行でインドを訪問した私は、その日本の価値観とは何もかもが真逆の魅力に取りつかれ、ふと気がつくとどっぷりとインドにドハマりしていました。

以降、足しげくインドに通うようになります。長期間にわたるインド旅を終え、たまに日本に帰って来ても「国内におけるインド的なるもの」を求めることとなります。とはいえ1990年前後はインド系の催しやイベントもほとんどなく、在住のインド人人口も今より全然少ない時代でした。

そんななか、一番手っ取り早くインド人とふれあえ、インド文化に浸れる場所は「インドレストラン」しかありませんでした。

インド料理を食べながらインド人スタッフと覚えたてのヒンディー語を駆使して関係を深める日々。この当時、最も足しげく通ったのが今は無き新宿の「ラージマハル」という店で、そこに勤務するスタッフさんたちとの交流を通じて生のインド情報を蓄積していきます。コックさんの妻と子供が観光で来日した時は案内役を買って出てディズニーランドに連れて行ったり、彼らを狭い自宅アパートに招いてインド料理を作ってもらったりしたのもいい思い出です。

さらなるぬかるみへ

やがて関係が深まっていくと、彼らの仕事柄、インド料理や食文化に興味を持つようになります。彼らの出身地では日常や祭事などの時、どのようなものが食べられているのか。事前に仕入れた現地情報を実際に訪ねていって照らし合わせることで面白みがいや増していきます。

またスタッフの中にはインド人だけでなくネパール人も多く、彼らを通じてネパールにも関心が湧いていきました。ネパール人はインド人にも増してフレンドリーな人が多く、特に都内各所に散らばっていた酒好きの彼らの自宅を焼酎の瓶を携えて訪ねたり、何人かでバーベキューしたり。優しい奥さんたちの作る刺激の強い料理をアテに飲み始め、酔えば必ず歌いはじめていたのも楽しい思い出です。

インド・ネパール的なるものを求めて30年

強烈なインド体験によって日本に戻ってきてもさまざまなフラッシュバック現象が起きることを俗にインド病と呼びますが、その伝によれば私は完全に罹患し、その病状はきわめて深刻な重症であると言わざるを得ません。インドに行くことでしか癒されないやっかいな病ですが、やがて通っているうち現地にパートナーもでき、インドやネパールから食器や調理器具などを輸入する会社を立ち上げ、仕入れや商品開拓と称して頻繁に行き来するようになりました。

結局この30年、実際にインド・ネパールに行っているか、国内にいる時でも行かない期間があっても、常にインド・ネパール的なるものを求めて国内をさまよい歩いるかして今に至っています。

書籍への結実

そんな甲斐?もあって、『日本のインド亜大陸食紀行』(阿佐ヶ谷書院)、『食べ歩くインド』(旅行人)という2冊の本に結実させることが出来ました。前者は日本国内に住むインドおよびその周辺国出身者たちの姿を、食を通じて紹介したもの。後者は文字通りインドとその周辺国の食ガイド本になっています。

コロナのためここ2年間は現地に行けませんが、その代わり日本国内のインド系・ネパール系を深く掘り下げる活動は続けています。その成果として『日本のインド・ネパール料理店』(阿佐ヶ谷書院)という本を上梓し、間もなく(2022年2月24日)発売予定です。よろしくお願いいたします。