hatao

ケルト&北欧の笛奏者、音楽教師、音楽教材著者、楽器店経営者。 ハープと笛のhttp://hataonami.com、ケルトの笛屋さんhttp://celtnofue.com 演奏、教育、普及で音楽を広める。18年京都烏丸錦に、19年東京都ひばりヶ丘に日本初ケルト音楽専門の楽器店を開店。En한中 3か国語学習中。

年末に行いたい「人生の棚卸し」

こんにちは! ケルトの笛奏者で、ケルト音楽専門楽器店「ケルトの笛屋さん」を経営しているhataoです。この連載では、スモールビジネスを営む私が、起業やビジネスについて、アイデアと経験をみなさんとシェアしています。

今年も残すところわずかとなり、駆け抜けるように終わろうとしています。この季節になると、一年過ぎるのが早いね、などと声をかけあうものです。今年の正月に立てた「やりたいことリスト」はどのくらい実行できたでしょうか。できなかったとしたら、それは今からでも間に合うものでしょうか?

やりたいことを消化できないのは、日々の生活が忙しすぎて、本当にやりたいことに取り組む時間を取らなかったから。「忙しい、忙しい」と文句を言いつつも、人というのは、本当は忙しく過ごすのが好きなのでしょう。年末ギリギリまで仕事や学業に励んで、年末になると年賀状を書いたり、その返信をしたり、プレゼントの買い物に行ったり、家族で集まったり、旅行をしたり。年末年始の休暇と言っても、結局のんびりできる時間など、どれほどあるのでしょうか?

こうして忙しくすごしてしまうのは、人生が有限であるという事実や、自分がこの人生において本当にしたいことを深く考えるのを避けるためのように思えます。今回は、年末だからこそしておきたい「人生の棚卸し」について書いてみます。

死と向き合い、生を考える

個人的に、今年は友人知人が立て続けに亡くなる一年でした。まだ寿命というには程遠い年齢で、いずれも病気でした。これまで、祖父母以外で身近な人が亡くなるという経験をほとんどしてこなかった私にとって、死はどこか遠いぼんやりとしたものでした。しかし、一緒に多くのことを楽しんだ趣味関係の友人知人が亡くなり、死について考える機会が多くなりました。私の人生が中年期に入ったので、周りに亡くなる人が増えるのは当たり前のことです。死は誰にでも日々、近づいて来る。そして人が死んでも、何も変わらず日常は続いていく。

私たちはこれまで何度も経験して頭では理解しているつもりですが、本当に死を自分のこととして捉えている人は少ないのではないでしょうか? 若くして亡くなった彼らは、満足な人生だったと思いながらその時を迎えたのでしょうか。それは本人にしか分からないことですが、そうであれば良いし、自分もそう思えるように日々生きたいと思います。

「今日が最後の日だと思って生きる」とは


病気の余命宣告を受けるというのは、本人や家族にとって死の前後の移行をスムーズにするための、心理的な、そして実際的な準備ができる点で事故などの突然死よりも恵まれた死に方だと思います。一方で、必ず来るその日を意識しながら生きなくてはいけないという意味で残酷でもあります。

スティーブ・ジョブズの名言で「今日が人生最後の日なら、これは本当に自分がやりたいことだろうか」という趣旨のものがあります。人生にきちんと向き合い、最重要なことをしなさい、という意味だと私は捉えています。もし今夜の0時に隕石が落ちて人類が終わるなら、学校や会社へ行っている場合ではないでしょう。短絡的な欲望のために行動する人もいるでしょう。しかしそうではなくて、死の瞬間から人生を振り返った時に、常にベストを尽くしてきたと思えるように日々生きようと言われているように私には思えるのです。

「本当に」やりたいことリスト


「バケットリスト」をご存知でしょうか。人生でやりたいことを100個、思いつくままにノートに書き出すという自己啓発の手法です。好きな韓ドラを全シーズン見るとか、最高のプロポーズをするとか、オーロラを見るとか、そういう小さくてロマンチックで、ちょっと頑張ったり無理をすれば実現できそうなものをリストにするのです。

希望にあふれ未経験のものがたくさんある若い人は、他人が見ればくだらないようなことでもどんどんリストに書いて実現していってほしいと思います。私自身も若い頃にバケットリストに取り組んで、たくさんのことを実行してきました。そうして人生を振り返ったときに、「あれもできた、これもやった」とリストを眺めると、人生を肯定できるのではないでしょうか。

しかし中年にさしかかり自分に残された時間が短くなると、100個リストアップすることは、かえって苦しみを生むかもしれません。仕事や家庭でただでさえ自分の時間が取れないのに、何もかもはできないよ、と思うのです。そして後から人生を振り返ったときに「これもできなかった、あれもできなかった」と未練を残すかもしれません。

バケットリストに載せるような小さな願いは、多くは「自分の満足」のためです。しかし、年齢を重ねるにつれて、自分を満足させる以上に大切なことが見つかるものなのです。

私たちに100個もの夢を追いかける時間は、もう残されていません。そのような小さなことで日々の予定を埋めているから、忙しくなってしまうのではないでしょうか? これだけは叶えたい、現状のここだけは変えたいこと選び、即行動しましょう。そしてこれは不要、という小さな願いは思い切って捨てましょう。

やらずに後悔するより、やって後悔を


昔からよく言われるように、「やらずに後悔するより、やって後悔をしよう」というものがあります。私は、過去を振り返って後悔するかしないかは、本人の心の持ちようだと思います。

人生の選択において、Aを選ばなかったということはA以外の選択肢を選んだということです。自分の選択に責任が持てるのであれば、どんな結果になっても受け入れることができます。「Aを選べば良かった」というのは、結果論に過ぎません。Aを選んで大失敗するとしても、そう思えるのでしょうか? 後悔するのは自分が主体的に選択をしてこなかったからです。主体的に選択をしていれば、どんな結果でも納得することができます。

私が自分の生き方の指針にしているのは「即決断、即実行」です。本当にやりたいことがあれば、ひとかじりでも良いので、やってみる。その道を極めなくても良いのです。多くのことを極めるなど、欲張りなのですから。しかし少しでもやってみると、想像していた以上にたくさんのことが理解できます。その結果、中断したり放棄しても、経験や満足は残ります。

この冬、私は便利な都会の暮らしを改めて、山奥の小屋で暮らすことを選択しました。山暮らしは不便で、暗く、寒く、しんどく、つらいことばかりです。しかし、ここでの暮らしが私の幸福につながっていると直感しているからです。1年で嫌になって都会に舞い戻るかもしれません。もう二度と山なんか行くかと思って家も売却するかもしれません。たとえそうなっても、生きたいように生きた、と人生に納得することが、私にとっては大切なのです。

この年末、すこし時間を取ってこれからの生き方について、考えてみませんか。