hatao

ケルト&北欧の笛奏者、音楽教師、音楽教材著者、楽器店経営者。 ハープと笛のhttp://hataonami.com、ケルトの笛屋さんhttp://celtnofue.com 演奏、教育、普及で音楽を広める。18年京都烏丸錦に、19年東京都ひばりヶ丘に日本初ケルト音楽専門の楽器店を開店。En한中 3か国語学習中。

活動25年で「プロの音楽家」と名乗るのをやめた話

こんにちは!

ケルトの笛奏者で、ケルト音楽専門の楽器店「ケルトの笛屋さん」を経営しているhataoです。この連載では、スモールビジネスを営む私が起業やビジネスについてアイデアと経験をみなさんとシェアしています。

私は楽器店経営の傍ら、20代の頃から音楽家(管楽器演奏家、講師)として活動しています。これまで私は自分自身をプロの音楽家だと考えていましたが、私は今後、自分のことをプロと言うのをやめることにしました。音楽家としての仕事を辞めるというのではありません。これからも変わらず活動を続けていきます。ただ、プロと名乗るのを辞めるだけなのです。

プロの定義はできるか

先日Twitter(現X)で、「音楽で食えないのなら、それはプロではなく趣味だ」という誰かの発言に、多くの音楽家が反応していました。

プロの音楽家になりたいと漠然と思っていた20代の頃から、私は自分の目指すプロとはなんだろうかと考えてきました。というのも、その職業を名乗るために資格が必要な医者や弁護士とは異なり、音楽家はいつどの時点でプロになるのかがはっきりしないのです。例えば、以下の場合はどうでしょうか。

・音大を卒業後、専業主婦として家事育児をしながら時々レッスンで収入を得るピアノ講師

・かつては大ヒットしたが現在はほとんど世間に知られておらず、ライブも新曲発表もしないが印税で生活しているシンガー

・フルタイムの専業音楽家だが、生活費を切り詰めており月5万円だけ稼いで生活するヴァイオリニスト

・音楽活動で年収300万円を超えるが、本業の会社員としての給料がそれをはるかに上回る作曲家

こうした様々なケースを考えるほど、プロの音楽家の定義が良く分からなくなります。そこで若い頃の私は、「プロの音楽家とは、知名度や収入に関わらず、高い志と演奏技術を持って、自ら音楽を創造し演奏する人物であるべきだ」と、理想主義者のように考えて、そのような音楽家を目指していました。しかし今となっては、プロとは単に「確定申告で音楽収入を主たる収入として申告する者」程度に考えるようになりました。

1円でもお金をもらったらプロか

「1円でもお金をもらったらそれはプロである」という考え方があります。習い事として音楽をしている人は自分でお金を払って講師の主催する発表会に参加します。多くのアマチュアの音楽家も、会場費を捻出するためにチケットノルマを課せられて、自腹を切ることも珍しくありません。音楽を始めた初期はお金が出て行く一方です。

しかしある程度の実力がついたら、本人が望もうが望むまいが、演奏依頼が舞い込んだり、レッスンの依頼が来るものです。コンサートに人気が出て経費分以上にチケットが売れたら、演奏収入となって手元に残ります。しかし少しでも収入を得ていればプロだというのは、本人がそのように自負するのであれば良いのですが、駆け出しの音楽家へのお仕着せのように感じなくもありません。

学生バンドサークルの自主ライブですらある程度のチケット収入があるものですが、そのことをもって彼らをプロというのは無理があります。

プロには「職業である」という意味しかない

プロフェッショナルはprofession(職業)の派生語で、「職業の」という形容詞です。

プロとしての矜持を持っている音楽家は、技術があってこそのプロだと自負していることでしょう。しかし現実的にはプロ(職業音楽家)であることに、楽器や歌が上手だとか、売れていて人気があるとかは全く関係ありません。楽器が一切弾けなくても、まったく世間に知られていなくても専業で生計を立てている音楽家はたくさん存在しています。収入額も関係なく、本人が職業として音楽活動をしているのだと自認しているのなら、それはたとえ月収1万円でも立派なプロです。

それならば私もプロだと名乗っても良いのではないかと思い、海外旅行の際に入国カードの職業欄に「音楽家」と書いてきました。やがて確定申告で音楽家としての収入よりも事業収入のほうがよほど多くなっても、「音楽家」だと書き続けることが誇りだったのです。

しかし、私が演奏しているアイルランドやスウェーデンの民俗音楽は本来、プロのいない世界です。商業主義化された現代でこそ民俗音楽を教えたり演奏したりして生計を立てている人はいますが、もともとは日本の祭り囃子のように、普段は他の仕事に従事している人が楽しみや習慣として演奏しているものなのです。それなのに、その文化に所属しない外国人である自分がプロを名乗るのはなんだかおかしいのではないか、と違和感を覚えるようになりました。

プロを名乗らなくなった一番の理由は、民俗音楽の演奏家でありたいと思ったからです。そして、実際に収入の割合から見ても、私は経営者なので職業としてのプロの音楽家ではありません。では、私はプロでなければ「ただのアマチュア」なのでしょうか。

アマチュアは「芸術を愛する人」

音楽家には様々なタイプがいます。音楽が好きで好きで仕方がない人もいれば、小さな頃から音楽家として訓練を受けてきたので、音楽が当たり前すぎて好きかどうかなど考えたこともないという人もいます。

私はもともと家族に音楽家はおらず、自ら望んで楽器を始めました。今でも演奏することと比べられないくらい、音楽を聴くことが好きです。自分のしていることがお金になろうがなるまいが、いつも音楽に関わっていたいと思っています。

プロの対義語はアマチュアだと考えられていますが、これらは全く異なる概念で、対立するものではありません。よく言われることですが、アマチュアとは「何かを愛する人」が語源で、音楽を愛するのであれば、それを職業にしていようがいまいが、本当の意味でアマチュアだと言えます。

それなら、私はアマチュアで全く構いません。それでは、プロでないのなら、私がやっていることは「単なる趣味」なのでしょうか。

プロでなければ趣味か

前述の「稼げていないのであれば、それは単なる趣味だ」という発言に、どうしてSNSが騒然としたのでしょうか。私は、「趣味」という言葉に対して「本業の余暇時間で行うお金にならない行為」という、若干見下されたような響きを感じたからではないかと思っています。

もちろん、そのように趣味として音楽を楽しんでいる方も多いことでしょう。しかし、プロではない音楽家には、余暇時間で音楽活動を行うどころか、音楽を生活の第一優先順位にして暮らしています。毎日何時間も練習したり、お金にならなくてもリハーサルに参加したり、極端な人はキャリア人生を犠牲にして非正規の仕事をしながら音楽活動をしています。

本人は真剣に音楽に人生を捧げているのに、周りからは「お金を稼げていないのなら趣味だ」と見られてしまうので、自らプロだと書いたり発言したりするのではないでしょうか。しかし、一流の音楽家は、自分のことを「プロだ」と言うでしょうか、プロフィールに「プロの音楽家」と書くでしょうか。私は、そのような人を見たことがありません。思えば、私自身も若くて実力不足の頃に最も自分をプロだと見せようと気を張っていたと思います。

アマチュアが成長して自己実現した先に職業人としてのプロがあるのではありません。そもそも、お金を稼いだり有名になることを目的としていない音楽家はたくさんいるのです。そして、そのような人の音楽を愛するコミュニティもきちんと存在しています。

音楽家ないし芸術家というのはその人のアイデンティティ、もっと大きな意味では生き方の表明です。
「私は、プロではない。お金もたいして稼げていないし、有名でもない。だが、このことは私の音楽家としての価値とは全く関係がない。私は芸術的な活動に携わっており、それが私の人生に喜びと充実感をもたらしている。」

職業として成り立っているかどうかは関係なく、こう考えることが私に自信を持たせてくれるのです。