6月21日、ポーランド・ヴロツワフ市にあるポーランド日本親善友好財団「波」に、この度三味線演奏と三味線ワークショップのミッションで訪問した。
この施設で2年ほどポーランド人に日本語を教えている方とのご縁がきっかけだ。
この方も、夏には、任期を終えて日本に帰国されるということで、今回の三味線イベントを大成功させたいと意気込んでいた。
渡航前に、何度もオンラインで打ち合わせを行い、どのようなプログラムにするか練った。
その結果、三味線のルーツとも言える沖縄三線演奏を組み込むことで、一連の三味線文化伝来を表現することにした。
また、他国のコンサートで、必ず準備する曲がある。
それは国歌である。
ポーランド国歌(ドンブロフスキのマズルカ)は、不撓不屈の精神と団結力を表現したもので、まさにポーランドの歴史そのものと言っていいだろう。
その勇ましい旋律は稽古中でも血がたぎるようであった。
さて、いよいよ本番。
「波」にある屋外施設にはウッドデッキの立派なステージがあり、周りは日本の石庭のような造作が施されていた。
三線と三味線によるプログラムは、音色、弾き方など対照的で、非常に好感触であった。
『さくら』〜『ポーランド国歌』も、大変喜ばれた。
国歌の演奏になると、観客はスッと立ち上がり、ポーランドの精神を大切に受け継いでいることがわかった。
最後の『津軽じょんから節』を弾き終えると、拍手喝采が沸き起こり、大成功であった。
そして、今回私は、もう一つのミッションを持っていた。
それは、ここヴロツワフの地に三味線を根付かせたいという想いであった。
そこで、大津琴三絃さんにその旨をお伝えしたところ、三味線寄贈のお話を快く引き受けてくれた。
「波」の代表者に、ステージ上で、無事三味線が寄贈された。尺八や太鼓、篠笛は施設にあったが、三味線はなかったので、本当に感謝された。
翌日は、寄贈した三味線を使ってのワークショップが開催された。
参加したポーランド人の若者は、目を輝かせながら、三味線を触っていた。
順番を待つポーランド人も、自分の順番に備え、指を動かして、習っている人の所作を真似していた。
その姿は、愛らしく、こちらも心がほっこりした。
私も、フランス・パリやアメリカ・ニューヨークで大きなステージに挑戦してきた。
それは華やかで素晴らしい財産となっている。
一方で、このように三味線の文化を、他国で根付かせていくことは、非常に大きな使命であると感じている。
日本が大好きで、一生懸命日本のことを勉強しているポーランド人と触れ合えたことに感謝したい。
熱い思いをグッと胸に秘めながら、生活しているポーランド人の精神性は、新潟の県民性と重なるところがあった。
すごく、好きな国になったし、また、訪れたいと思う。
今回、ヴロツワフに三味線の種を蒔くことができた。
やがて、芽が生えて、ポーランド中に三味線文化の花が咲く日を願っている。