hatao

ケルト&北欧の笛奏者、音楽教師、音楽教材著者、楽器店経営者。 ハープと笛のhttp://hataonami.com、ケルトの笛屋さんhttp://celtnofue.com 演奏、教育、普及で音楽を広める。18年京都烏丸錦に、19年東京都ひばりヶ丘に日本初ケルト音楽専門の楽器店を開店。En한中 3か国語学習中。

楽器店「ケルトの笛屋さん」関西から東京へ進出。その戦略について

こんにちは! ケルト音楽の楽器店を経営しているhataoです。この連載では、音楽家の視点からビジネスのアイデアや経験をお伝えしています。

私が経営する楽器店は、京都市と西東京市の2つの実店舗があります。そのうちのひとつ、西東京の支店が1年半の営業ののち、今年2月により広い店舗に移転しました。

今月は2回に分けて、関西を拠点とする私が東京進出をどのように進めていったのか、そして新店舗への移転の経緯についてお話します。

東京への足がかりはマンションから

楽器店「ケルトの笛屋さん」はもともと通信販売事業からスタートしました。日本にはケルト音楽専門の楽器店がないため競合が少なく、商圏を選ばず固定費が安い通信販売は手堅いと考えたためです。

しかし楽器は、直接見て・触って・音を聴いて選ぶのがふつうです。文字や動画を駆使して商品紹介をホームページに載せていても、実際にお客様が手に取ってみなければ本当の良さは分かりません。

開業当初から試奏へのご要望は多く、いつかはお客様がじかに楽器を選べる実店舗を持ちたいと思っていました。

その夢を抱き続け、通販店として6年ほど営業し順調に業績を伸ばした頃、2018年にご縁があり京都の小さなスペースをお借りすることができました。京都の店舗は開業以来、週末だけの営業にも関わらず大勢のお客様にお越しいただいています。

その頃から東京での出店も視野に入れていました。通販店では首都圏のお客様が圧倒的に多かったのです。

東京進出するにあたり最大のハードルは家賃です。ご存知のとおり東京の家賃は高く、都内の駅そばの物件は、私には手も足も出ません。そこで私が考えた案は、店舗付き住宅です。店長の通勤が必要ないため交通費が削減でき、営業時間の融通がききやすく、社宅にして店長から多少の家賃を貰えば店舗の家賃の出費を減らせると考えたからです。

全室防音のマンション「ミュージション」

手の届く範囲の家賃で店舗兼住宅が見つけられなければ、普通の民家の一室を改装して楽器店にしても良いと考えました。そうしてインターネットで商用可能な住宅を探したのですが、なかなか見つかりません。

そんな折に「ミュージション」という、全室防音のマンションがあることを知りました。さっそく資料を取り寄せ、教室や事務所として商用利用が可能であることを確認し、契約する決断をしました。2019年秋のことです。おそらく、数あるミュージションでも楽器店を開いたのは当店が初めてだったのではないでしょうか。

マンション内で店舗経営する際のメリットとデメリット

当店が入居した西東京市の「ミュージションひばりヶ丘北」は、西武池袋線で池袋から15分、ひばりヶ丘駅から徒歩1分という好立地にあります。ひばりヶ丘駅は急行停車駅なので通勤通学で人が多く行き交い、駅前にはPARCOや西友など商業ビルが建ち並び活気があります。この街の便利さと雰囲気が気に入ったのが、馴染みのないこの地域に出店を決めた理由です。

ミュージションで出店するメリットは、まず防音性

楽器店にはご近所への騒音の配慮が必要です。一般の民家や商店で出店をするなら、数百万円を投じて防音スタジオを導入しなければ営業は難しいでしょう。その点、ミュージションは音楽家用のマンションとして開発されたため各居室が防音施工されており、 24時間楽器の練習ができます。お客様が試奏しても近隣にご迷惑をおかけすることはありません。

店舗と住宅を兼ねるメリットは営業時間の融通が効くことです。基本の営業時間には週末のみ開店としながらも、お客様のご予約があって店長の予定が空いていれば受け入れ可能としました。

一方、デメリットはまず家賃が高いことです。さすがは新築マンション、家賃は15万円でした。

次にお客様の心理的なハードルが高いことです。普通のマンションであるため、入店には1階のエントランスでインターホンを鳴らしてドアを通り、人の家を訪ねるようにドアを開けて入店します。普通のお店だと思ってお越しのお客様は入りにくかったことでしょう。

3つ目は、スペースが狭いため、すぐに混みやすくお客様に気まずい思いをさせてしまうことです。当店が借りたスペースは、2Kと風呂トイレの間取りで、6畳ほどの一部屋に楽器を陳列し、3畳ほどのもう一部屋は店長の居室としました。お客様がご来店されたときは、6畳間に二人でも少々息苦しく感じます。お客様が若い女性であれば、男性の住む家に一人でいるのですから、緊張されることと思います。実は、店長も緊張します。

また、2つのグループが時間が重なってご来店された場合、それぞれ2人の2組だったとして店長を含めて6畳間に5人もいると、圧迫感があり気まずい雰囲気になってしまいます。

高い家賃をどのように考えて受け入れたのか

店舗経営をする際に、家賃は売上の10%程度、粗利の30%程度までに抑えるように、という目安を読んだことがあります。当店の場合、家賃が15万円であれば売上は月150万円を稼がなければ厳しいということになります。

実は私はこのミュージションに出店を決めた頃から、この店舗で黒字が出るなどとは思っていませんでした。それでも出店を決断したのは、3つの理由があります。

まず店長が当店のSNS運用担当者だということです。

純粋に販売だけに従事するスタッフであれば、お客様がご来店されなければ仕事になりません。しかし主な業務がSNS運用であれば、営業時間内のお客様のいない時間帯にはブログを書いたりSNSを管理する時間に充てることができます。店長が販売業務しかしないのであれば家賃と人件費を店舗の売上だけでまかなわなければいけませんが、極端なことを言えば、店舗が赤字でもSNSで好成績を上げて通販店が繁盛すれば問題はないと考えたのです。

2つめの理由は、市場調査です。私は20年間関西を拠点に生活しており、首都圏に住んだことがありません。そのため出店場所については確信がありませんでした。東京に進出するなら23区内、それも駅から徒歩圏内が良いというのは商売の素人にも明らかですが、家賃の点からそれは現実的ではありませんでした。

しかし首都圏は23区だけではなく、神奈川、埼玉、千葉に広がる広範囲な地域に巨大な人口を抱えています。潜在的なお客様はそれら首都圏近郊にもいるはずです。人が多く住んでいる場所であれば23区外の主要ターミナル駅でも良いはずだと考えました。都内のハブ・ターミナル駅である池袋駅から15分というひばりヶ丘で試験的に営業してみて、お客様の反応を探り、それから本格的な拠点を定めようと思ったのです。

3つめの理由は、マンションでの出店は元手が少なく始められ、いつでも撤退ができることです。例えば飲食店では開業にあたり大規模なリフォームや厨房設備の導入で数千万円の投資(多くは借金)が必要になる場合があります。しかしマンションで出店するのであれば、開業資金は敷金礼金・引っ越し費用を含めて100万円ほどで済みます。賃貸マンションはリフォームできませんから、家具だけ揃えれば良いのです。

撤退もまたノーリスクです。当店の場合、仮にお客様が全然来ずに家賃と人件費が全額赤字になったとしても、毎月30万円程度の負担で済みます。また赤字が続いた場合は通常の退去の手続きで撤退ができ、損失はそれほど多くなりません。そのため東京進出のプロジェクトが大失敗しても、損失は200万円くらいにおさまるだろうと踏みました。

店長との条件交渉

出店場所と物件が決まり、店長候補の当店スタッフと給与条件の交渉に入りました。彼はその頃、東京での前職を退職後に実家のある新潟に戻り、当店のSNS運用担当者として自宅で仕事を始めていました。

SNSの運用はインターネットで行うため、新潟の実家に住み続けることもできたのですが、彼としては刺激的で便利な東京に戻りたいという要望がありました。しかし東京の家賃は高く、当店で得られる給与で一人暮らしをするには困難が伴います。私と彼と双方にとってメリットのある条件をさぐる必要がありました。その条件面については 2019年11月の「大好きなことで小さく商売をする方法」で少し触れています。

大好きなことで小さく商売をする方法

出店当時の記事では、店長の家賃負担を半額にすると書いているのですが、最終的には住居は無償、そして店舗での拘束時間や売上額には関わらない固定給を設定し、加えてSNSの「いいね」や「フォロワー増」などの成績により歩合給が加算されるという条件を提案しました。

この条件であれば、彼は店舗への来客や売上のいかんで生活が左右されることなく、安心してSNSの運用に集中することができます。こうして店長スタッフも決まり、ついに東京進出への道が開かれました。

小さな一歩を踏み出すことから始まる

私はビジネスにおいて臆病者です。常に退路は用意しておき、最悪の事態での損失を大きめに見積もります。それでも進む意味があると思えば、決断するだけです。そして小さく初めて、大きく育てていきます。

新規開店や新しい地域への進出では大きな予算を投じて一大勝負に出るのではなく、小規模で出店してから足場を固めていきます。こうして時間をかけながらユニークな価値を育て、市場での存在感を強くしていきます。大手資本にはできない、零細企業ならではの生存戦略です。

次回は、1年半営業をした西東京市の店舗が移転した経緯について、お話します。