北陸三県のそれぞれの県での地域意識はかなり違っていますが、それを概観してみました。
今年元日に能登は大地震に襲われ、未だ復旧は完了していません。石川県は金沢を含む加賀と能登に大きく二つの地域で成り立っていますが、両地域は互いに親戚知人が多くいたり、商売上の取引があったりして、多様に結びついていています。
能登に親戚や同級生がいなくても、春夏に能登各地を訪れ、温泉に入ったり、海水浴に行ったりし、能登の人たちは年中大きな買い物をする時にはまず金沢を訪れます。人的な交流は太く、モノとカネの移動も大きなもので、加賀と能登は深い繋がりを持つに至っています。
だから、震災は金沢市民にとっても他人事ではなく、未だに義援金やボランティアの動きがあります。
私は福井県の出身ですので、この加賀と能登の結束したような関係を一種憧憬の目で見ておりました。というのも、越前と若狭の間にはそのような関係は殆どないからです。
越前の人たちは若狭に頻繁に行くことはありません。中学か高校の遠足で行ったという程度で、敦賀は経由地であります。若狭の人たちは自分たちを福井県人だとまず考えている人はごく少なく、若狭は関西の最北地と受け止めたほうが実際的です。
それほどに両県の地域実情は異なるのです。
富山県は富山市南部にある呉羽山を境にして、東と西に分かれ、市民たちは互いに対抗意識を持っています。東は立山連峰の懐にあり、富山湾の出口にあって、農業・工業が盛んで、人々の自立心が強いと思います。
西は高岡・砺波平野を中心として、農業だけでなく漁業も盛んで、手工業も発達していますが、何よりも東と異なるのは隣接する金沢への憧憬が強く、加賀百万石の一翼を担っていたという自意識が強くあります。
富山県の東西両地域は、互いに親戚や知人も少なく、結び付きを強めようという気持ちは希薄で、一言で言えば、互いに排除するような雰囲気すら感じられます。
ただ、金沢に富山県人が来ると、彼らは一挙に同族意識を持ち、結束するというのも、大きな特質です。つまり、富山県人は外に出ると、県民意識が高まる、そんな感じです。